みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

普通であろうとすることを諦めさえすれば、今までやってきたことは決して無駄にはならない。

世の中に正解はない、というのは常識である。それでも人はルールを守り、常識を守り、思いやりを持とうとし、また人にやさしくあろうとする。
 
これからの人生を生きていくにはまず社会規範を守らなければならず、法律を守らなければならず、人としての道徳を身につけなければならず。
 
今までやってきた努力を無駄にするのはもったいないので、形として過去の成功例を引っ張り出し、「答え」にする。その答えの集まりが「普通」であり、気付けば「普通」へ導かれ、「普通であること」を求められ、やがて全体は無難色に染まっていく。
 
社会全体を優位に導いてくれるものが多様性だとすれば、どんな在り方も認め、個性を尊重しなければいけない。ただし、人類が滅ばない方向で。
 
多数派が少数派を受け入れてしまえば、それは多数派の拡大に過ぎない。少数派を少数派として、また少数派は自分たちの頭数を気にせず、社会の利権に従った命令、すなわち「普通であれ」という命令を頑なに拒否し続けるほかに生きる術はないといっても過言ではない。
 
よって、蔓延する普通神話が崩壊しなければ、少数派にとってはただただ生き苦しい未来が待っているだけだ。出る杭は打たれ続ける。罪を犯せば更生の余地なしと即判断され、糾弾され、淘汰される。悪態をつけば悪者扱いされ、タバコをふかしていれば邪険にされる。噂によるとアルコールはまだ許される側にあるらしい。
 
もはや安寧の社会で将来をどう生き延びるか憂える必要はない。今、社会に突きつけられている銃口は「どう生きるか」だ。どう生きればいいのか考える余裕も十分ある。それでも答えが出ないのは、普通であろうともがき続けているから。
 
自分を傷つける必要があるのは他人を傷つけたときだけだ。社会規範はもう十分に身についているのだから、必要なものはすべて自分の中に備わっているのだから、あとは不自由と退屈からの脱却を目指すのみ。
 
普通とは何かを知り、普通を恐れることなく、普通を味方につける。一般人として生きることに窮屈さを感じるなら、普通であろうとすることを諦め、早々に立ち去ること。そうすれば今までやってきたことは決して無駄にはならない。