みっつ通信

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三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログです

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やりたくないことをやらないと決めた後の清々しさは半端ない。

「彼女と遊ぶためにはお金が欲しい。現状の生活費だけでは食費をいくら削ってもお小遣いは月5000円にしかならない。デートを行くにも交通費ですぐ消えちゃう。かといって、彼女に全部奢ってもらうのはやっぱりちょっと心苦しい。彼女は全然いいよと言って気前よく払ってくれるけれど、ありがたさと同時に申し訳なさまで心に抱えてしまう時点で、多分、ヒモには向いてないんだろうな」
 
と、そんなことを思い悩みつつも日々紅茶を飲みながら、ゲームしたり、ツイッターしたりして、それは結構快適な時を過ごしていた。
 
そんなある日のこと、彼女が男友達と会うという一報を受けたので、何気なく詮索してみると、どうやら仕事を紹介してもらいにご飯を食べに行くという。ふむ、と頷いて快く送り出したものの、胸がざわつく。俺は乙女らしい、否、俺は乙女だ!
 
というわけで、後日彼女にその時の話を聞いてみると、紹介してもらおうと思っていた仕事はもうなくなっていたらしく、代わりに他の仕事の話をしたりしていたらしい。どうやらその男性は仕事を紹介する仕事をしているという。
 
結果彼女は今の職を変えることはなかったが、自分としてはここで ピン! ときた。これは人生働いてこなかった自分がここぞとばかりに男気を見せられるように神が与えたチャンスなのだと。
 
そこで彼女に色々話を聞いてみると、なにやら携帯販売の仕事があるという。取り急ぎ彼女に連絡をとってもらうと、また別の男性が出てきて、その名をHさんといった。仕事を紹介してくれる中心人物の登場である。
 
これが8月下旬ごろの話になる。その後Hさんとみっつ、彼女と三人でお茶をする機会に恵まれた。正直第一印象からして人当たりの良さそうな人である。自分より年下ときた。自分25、Hさん22である。とりあえず挨拶諸々を交わし、仕事をするために必要な登録を済ませ、その場は解散となった。
 
その日を境にHさんの主催するイベントに参加したり、何度か渋谷で飲んだりと交友を深め、この人は仕事に対してすごく情熱を持っているな、一緒に働いていけたら面白そうだな、とそんな風に思うことが出来始めていた。
 
先方からも一緒にやっていきましょうと言われ、二つ返事で承知し、さぁこれから俺もお金を稼いでやるぞ! とやる気みなぎり前途バラ色のはず......だったんだけれども。いつだって期待を裏切るのは自分自身である。
 
結局9月初めから仕事をする予定が先方の諸事情により、日にちがずれ、10月上旬まで持ち越しとなった。自分としては一度もやったことのない接客業だし、そもそもでコミュニケーションがそれほど得意ではないと自覚していたので (なぜやろうとしたのかは不明だけど) 、働く日が延期になることでどこか安堵していた。
 
そんなこんなで9月の下旬はいばやのメンバーが一堂に会するいばや全国ツアーに招待されたので、大分へ。
 
イベント当日の26日までに大分へ到着していればいいというお達しがあったものの、なぜか22日に一人飛行機に乗って現地入り。
 
メンバーを大分まで呼んでくれた主催者の方に早めの大分入りをグッジョブしてもらい、それから別府の地獄めぐりへ行ったり、大分市で行われた謎のイベント「トイレンナーレ」で人力メリーゴーランド (手で押して回す) に乗ったり、夜の山道を車で走っていたら突然二頭の親子のシカが出てきて子鹿と並走したり (親鹿は速攻逃げた) と、大分をめくるめく満喫。大分へ行く機会があればぜひ国東半島へ。
 
いばや全国ツアーではイベント当日までの間に長崎県の佐世保、熊本の阿蘇といろんなところへ連れていってもらい、無事いばやの決算も終わり、自分は家路についた。
 
いばやのメンバー嘉向徹くん、MAYUさん、行きは新潟から大分までヒッチハイクでやってきた彰人さん、そのメンバーで名古屋まで車移動し、解散。彰人さんと二人で無事名古屋から東京は町田駅までヒッチハイクで帰ることに成功した。
 
家に帰った翌日みっつ25歳のバースデーを彼女と共にお台場で過ごし、ジョイポリスで遊び…...と、案の定 (?) 長旅から帰ってくると必ずといっていいほど風邪を引いてダウンしてしまう以外は幸せを謳歌していた。
 
そんなこんなで10月になったころ、Hさんから明後日出れますかという連絡がそうついにきたのである。
 
だがしかし、自分はその日風邪をこじらせた挙句に熱を出していた。
 
先方としてはその日に出てくれると助かるらしいがさすがに考えた。安請け合いは体に悪い……だが、ここは男気を見せるチャンスだ! と (誰にって話だが) すぐに電話を折り返し、「明後日出れます!」と返事をしたのだ。
 
だが、なんということでしょう。なんと先方から「みっつさんの体調もありますし、現場でのマニュアルもまだできてないので仕事が大変きついと思います。なので来週にしたらどうでしょうか」…...と言われてしまったのだ。これは自分のことを気遣ってくれている…...私はお言葉に甘えて、では来週で、と返事をした。
 
多分、もうすでにこの時辺りから、自分の中で歯車が狂い始めていたんだと思う。
 
その日の現場は池袋だったので近くてよっしゃと思っていたが、来週の現場は町田であるという。あのヒッチハイクで降り立った町田…...何かの縁があるかのように思えたが率直な感想は「遠い」だった。
 
大分へ呼んでくれた主催者の方は占い師としても活動されている。
 
自分としては渦中だったので「仕事」について占ってもらっていたが、「気持ち的にはすごくやる気がある、だけど将来的には不穏だ」というようなことをうろ覚えではあるが聞いていた。ちょっと自分でもびっくりしてしまった。誤解を恐れずにいうと、いばやの活動とその派遣の仕事は似ても似つかないというか、むしろまったく真逆の性質だった。
 
たしかに9月頃にはやる気がみなぎっていたが、何しろダメ人間なもので、10月まで延期、その上やると覚悟を決めたら、また来週…...おわかりいただけただろうか。もうやる気が底を突いていた。
 
何より決定的な問題は仕事の日が近づくにつれて自分でも頭がおかしくなっちゃうんじゃないかと思うほど、精神的に不調になっていた。俺の体は砂糖でできている…...あまあまだ、そんな風にやや自嘲気味に落ち込んでいた。
 
まだ仕事をやったわけでもないのに、これほど精神的に参るなんて。
 
最悪なのが彼女と電話をしたとき、一方的に愚痴ばかり吐いてしまって、彼女を悲しませてしまったこと。自分では甘えたつもりだったが度が過ぎた…...情けない。
 
というわけで、彼女に送ったLINEのメッセージは既読にはなるものの、返信がないスルー状態が続くことに。この時、最高に精神が死んでいた。
 
彼女の最寄り駅まで会いに行ったものの今日は会いたくないと言われてしまい、危うくユラユラと電車に飛び込むところだった。今思えば大げさに聞こえるけど、その時は絶望しきっていたから怖い。
 
この前読んだ村上龍の「55歳のハローワーク」に「死のうと決めて死ぬ人はいない。何かに引き寄せられるように、まるでずっと以前からそう決められているかのように、行き先が決まったトラックを淡々と走らせるように、あるところに避難しようとするだけなのだ」と書いてあったのを思い出した。
 
彼女とはすぐ仲直りできたから良かったけど、仕事のほうは相変わらず働く日が近づくにつれて体中から元気が奪い取られるような感覚に陥っていた。
 
そして、仕事の日が二日後に近づく中、携帯販売の研修を受けに渋谷に向かった。そこにはHさんと自分と同じく研修を受けに来た女性のBさんがいて、そこで一通りのマニュアルを読んで、声掛けの練習をした。
 
研修の合間にHさんからHさんの会社が主催する、ある芸能人の講演会のイベントに招待された。参加費が2000円もしたので、イベントの手伝いをすればタダになりませんか、と聞いてみたらOKが出たので、その日の夜に会場へ。
 
お手伝いの内容はというと、会場前まで来たお客さんたちに講演会の会場はエスカレーターを降りて右側です、みたいなことを言って案内する係で、それをBさんと二人で一時間くらいやった。
 
その後、講演会の後半部分を観ることができたけど、講演の内容はあまりピンとくるものではなかった。それでも、良い経験ができた一日だったと思う。
 
その日の帰りはもう本当にクタクタで、今までに感じたことがないほどの疲れが体中に押し寄せていた。全身が痛かった。
 
彼女と一緒に日をまたいで遊んだりしても肉体的な疲労は全くなかったのに、なんでたった一日でこんなに異常なほど疲れを感じるんだろうと不思議に思った。
 
次の日、なんかもう意識が朦朧としていて、もうほぼ無意識にHさんにメッセージを送っていた。「明日行けません」って。
 
そのまま布団に潜って寝込んだ。で、起きて彼女から明日気張り過ぎないようにね、リラックスしてねってメッセージが入っていたので、明日は行かないことにしたって返事をしたら、すぐに電話がかかってきて、そっか、やらないことを選択するのにもすごく勇気がいるもんねって。
 
この言葉を聞いた瞬間になんか全部から救われたような気がした。自分は一体何に蝕まれていたのだろうか。もちろん、誰のせいでもないし、自分を責める気もない。でも、重石が乗っかったような気分になっていたのは間違いない。