みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

結婚する意味と、家族のあり方について。

結婚する意味を考えていたら、多分、家族になるっていうことが大きく意味を持つんだろうなと思った。恋人同士を結びつけておくためだけの約束事ではなくて、純粋にお互いが拠りどころになるっていう感覚が強い安心感につながるんだろうと。家族を増やすっていう手段がもっといろんな形であれば面白そうだなぁということでちょっと妄想をメモります。
 
「結婚」みたいな周囲にも知らせるための方法でなくても、人と人同士が意識をこう上手くすり合わせたりして、外国映画とかによくある「よう、兄弟!」みたいな感じで、もっとお互いがより密着できるような関係があったらいいな。友達・親友を超えてくる関係性の構築が形となって具現化したら楽しい。
 
多分、国っていう括りではなくて、結婚とかも国の法律だと思うけれど、そういうのではなくて、民族とか地域的な結束っていうか、小さなコミュニティにおける一体感っていうか、もっとそういうものが身近にあってもいいんじゃないかなと思う。
 
例えば、地域に根付いたスポーツチームがあれば、一緒になって応援している人はもうある種の仲間であり、家族に近い関係性にもなり得ると思う。
 
個人と個人の間にひとつのものを強く信じる心があれば、いくら物理的に距離が離れていても、芯のある間柄が構築できるかもしれない。
 
スポーツチームが一丸となって勝利を目指すのと同じように、できればそこにひとつの目標を設定するなりして、そこへ向かっていく団結力があると尚の事いいのかも。
 
なんかそんなことを言っていたら、「会社」のあり方にも似てくる気がしないでもないけど、会社は何より達成しなければいけない業務が必ずついて回るし、個人にも「仕事」として最低限のノルマが課せられるから決定的な違いがあると思う。
 
だんだん話がそれてきてしまったような気がするけど、なんというか、決して個人の負担になるのではなく、できれば個人の居場所となるような、時には散り散り、時には集結みたいな。
 
お互いが希望であり、お互いがつながっている感覚が未来永劫続くような。そう、この未来永劫感が大切だと思う。家族には未来永劫感がいい意味でも悪い意味でもついて回る。血のつながりっていうのは面白いですね。
 
家族には一緒にいなくちゃいけないっていう束縛感が場合によっては往々にしてあるので、そこも柔軟に対処できればいいな。
 
本来嫌いな人とか一緒にいたくないと思う人とは一緒にいなくてもいい自由が誰にでもあるはずだし、でも現実的には家族と一緒にいないと経済面で生きていけないから泣く泣く家族と一緒にいることを選択せずにはいられなかったりする。
 
この世に生んでくれなんて頼んじゃいないよ、と。子供は親を選べないし、親も子供は選べない。できちゃった、で子供が生まれる場合もある。
 
親子共々嫌々環境に支配されながら生きていくなんていう構図は悲しいので、例えば、親がいっぱいいたら面白いかもしれない。子供の世話を分担したり、勉強を教える人、お金を工面する人とかいたら (別に役割が固定されている必要は全くないけど) 、色々と活性化しそう。そうしたら俺みたいに仕事してないよって人も、自分で役割を見つけることがずっと容易になって、社会に属してる感がしっかりと味わえるかもしれない。
 
なんか話がそれにそれて、ただの願望みたいになってしまいましたが、もっとこう新しい家族のあり方というか、男同士でも女同士でも誰とでも制限なしに結婚みたいなことができちゃうとか、法で意味を持たせた兄弟の契りとか、何かしら文化に新たな血を流すことができたなら、より面白い社会になるかもしれませんね。