みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

相手の心に踏み込む勇気。

何者かになりたいと思う気持ちがよくわかる。何もしていない自分には価値がないと思う気持ちもよくわかる。何かしなければいけないという気持ちに押し潰されそうになることもよくある。
 
自分に対しても、同じ気持ちを抱える人にも、ひとつだけ伝えておきたいことがある。
 
それは、「相手の心に踏み込む勇気」を持ってほしいということだ。
よそよそしい態度をとられて嬉しくなる人はいない。
自分はよく失敗をしでかす。本当はその人に興味を持っているし、仲良くなりたいと思っていても、自分に自信がないせいで、不自然に距離をとってしまうのだ。
 
もし仮に自分が誰かに距離をとられたらどう思うだろう?
 
自分の場合は「あぁ嫌われたんだろうな」とか、もっと素直に「悲しい」と思うかもしれない。相手に悪意がなくても、自分は相手に"よそよそしい態度"をとられることでポジティブな気持ちにはならない。ネガティブな気持ちが心に蔓延するだろう。
 
「自分がどう思うか」「相手がどんな気持ちになったか」によって左右される。コミュニケーションの醍醐味は、「人とつながっている」という感覚を得られることであり、他人とつながっているということはそれだけ相手の気持ちが自分にも影響するということだ。
人の感情は伝染する。事故に遭ったときは「しょうがない精神」で乗り切ろう。
例えば、他人にバカにされて喜ぶ人はいるだろうか。自分はバカにされたら相当怒るだろう。最悪キレることもあるかもしれない。なぜ、悪意を持って接されたときに自分は「激しい怒り」を感じてしまうのだろうか。
 
それは、「バカにしてきた相手が怒りに満ちている」からだろう。怒りをぶつけられれば、自分にも怒りが伝染するのは当然のことだ。人は相手を真似る生き物でもあると思う。舌打ちをされたら、本能的に舌打ちをし返したくなる。
 
ストレスの蓄積が人の心を悪に染める。人の邪悪さに触れるたびに「やられたらやり返す根性」で歯向かっていたら、こちらまで悪に染まってしまう。人はストレスを発散することで、なんとか生きながらえている。それならば、"事故"に遭ったときは「しょうがない」と相手を許そう。自分はこの「しょうがない精神」に何度も救われてきた。
人間はひとつの大きな命を生きている。
この世界は自分の力ではどうすることもできないことだらけだ。遠い国の戦争を止めるどころか、身近にある問題でさえ、個人の力だけでは太刀打ちできないことも頻繁にある。
 
イライラしている人や疲れきった表情の人、その人の中にある「しこり」を取り除いてあげることは自分にはできない。育った環境によるトラウマを排除してあげることもできない。これから起こりうる災難を予言して伝えることもできない。
 
しかし、ひとつだけ自分にもできることがある。それは、「人生を生きる」ことだ。どんなに辛い境遇にいても、生きようとしてくれる人がいるから、自分も生きたいと思える。
 
あなたは私の代わりを生きている。私もあなたの代わりを生きている。もしも、人間がひとつの大きな命を生きているとしたら、自分にできることは「命の花を咲かせる」ことだと思う。やりたいことをやって、言いたいことを言って、清々しく生きることができたなら、私はあなたを元気付けることができる。
相手の心に踏み込む勇気。
何者かになりたいと人は言う。けれど、もうすでにあなたは何者でもなく、あなたを生きているじゃないか。目に見えないものを信じて、人間を生きようとしているじゃないか。
 
誰かを好きになる勇気を持つこと。今はまだ好きになりたいと思える人がいなくても、いつか誰かを好きになるための準備をしておいてほしい。人を突き放せば、心は孤立する。純粋に人を好きになれば、それが本物の愛から派生している感情であれば、必ず愛が返ってくる。人生は自分が投げたものが投げ返ってくるようにできている。
 
誰かを好きになって、その人のことをよく知って、心に触れて、恋心のような気持ちもいつしか愛に変わり、やがて人は愛することの意味を知る。最初の一歩は「相手の心に踏み込む勇気」だ。愛されることを待っていたら、いつまでも愛されないかもしれないが、自分から愛そうとすれば、その瞬間から全てが始まる。
 
相手を傷つけてしまうんじゃないかという態度が相手を傷つける。自分が傷つくことを恐れずに、まずは相手に寄り添ってほしい。相手のことを素直に好きになってほしい。プライドを捨てて、誰かを好きになれば、きっと、報われる。一人の人を愛するということは、人類全体を愛するということだ。その瞬間をぶち撒けて、もっと、生きてくれ。