みっつ通信

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログです

いばや関連ブログ更新情報

【出会いを求め続けろ】すべての悩みは物事の見方から生じる。

自分は最近子供のことについて考えることが多かった。もしも、自分に子供ができたらどうなるだろうと。自分は子供が欲しいのか、欲しくないのか、よく考えた。けれど、数日前に自分に会いたいと言ってくれた男性と女性のお二方とお会いしたときに、20歳と22歳の娘さんを持つ母親の方に、「子供が欲しい、欲しくない、というのは女にしかわからないことだよ」と啓示をいただき、自分は「たしかに、男には子供を生むことができないから、身体的に子供を欲しい欲しくないという欲求はそもそもないんだ」ということに気付かされた。
 
そして、「男は女のご機嫌をとってさえいればいいの」という御言葉も頂戴した。これには前置きがあって、お二人のお子さんを持つ母親の方がお薦めしてくれた『かみさまとのやくそく』という映画では、10歳の女の子が自分がお腹にいた時の記憶 (胎内記憶) を事細かに喋るシーンが出てくるのだそう。これは本当にリアリティがあるらしく、その映画では「すべての子はお母さんを笑わせるために生まれてくる」と伝えられているのだという。そこからの「男は女のご機嫌をとってさえいればいいの」 である。全くその通りだと思った。自分は、自分の母親の幸せを願っている。それと同時に、父親になることがあったら、お母さんを (妻を) 笑わせることに命をかけるお父さんになりたいと思った。
 
これから先のことは何もわからない。何もわからないということが怖さを抱くきっかけになってしまうこともあるけれど、本当は、人生は何が起こるかわからないからこそ面白いのだと思う。

物事の見方を変えることで、悩みから脱する。

自分は今すぐに子供を持ちたいと思っているわけではなく、ただ、その物事について考えることが必要になった時に、自分のそれに対する見方を変えることで、ある程度は気持ち的に楽になるのだということを伝えてみたいと思った。
 
結論からいうと、悩み事を解決するには、自分が納得いく形での「行動」が必要になってくると思う。
 
ここに簡単なプロセスを書くと、
 
1.「悩みは物事の見方から生じる」
2.「物事の見方を変えるには行動が必要になる」
3.「行動には未知への恐怖が伴う」
4.「恐怖によって行動を起こすことができなければ現状維持、今のまま我慢を強いられることになる」
5.「我慢は体によくないのでやっぱり行動を起こそう」
 
というわけで、一つ一つを具体的に解説していきたいと思う。

1 : 悩みは物事の見方から生じる

悩みは物事の見方から生じていると思っている。そして、ある一つの問題について悩んだり考えすぎたりしてしまうのは、その悩みから解放されたいと心のどこかで望んでいるからだと思う。自分の例でいうと、子供を育てるとはどういうことか考えなければならなくなった時に、いつまでも自分の頭だけで考えていては埒が明かないので、お子さんを持つ親御さんに自分の今考えていることについて相談をさせてもらった。
 
悩みとはそもそもで不安から出発していることがほとんどだと思うので、悩んでいる以上は不安の中を生きることになる。悩めば悩むほどに深みにはまっていき、身動きが取れなくなる。自分の収入で子供は育てられるものなのかとか、しっかりとした教育はできるのだろうかとか、そもそもで何が起こるかわからない人生なのに、いくら将来について考えを巡らせたところで、これから先を保障するような答えが出るはずはない。

2 : 物事の見方を変えるには行動が必要になる

悩みは悩んでも解決しないと思うので、自分が何か悩みを抱えなければならなくなった時は、物事の見方を変えるところから始めてみる。そして、物事の見方を変えるには、何かしらの行動を起こすことが必要になる。
 
行動を起こすといっても、そんなに大げさな行動とかでもなく、ただ、自分の物事の見方を変えてくれるような「出会い」と出会うための行動とでも言ったらよいだろうか。例えば、今回のように自分の中の「子供についての悩み」は、偶然にも二人のお子さんを持つ方との出会いによって、自分の中の子供に関する悩みは解消された。それは、「男は女のご機嫌をとってさえいればいいの」といったような言葉を受けることで、自分の中の物事の見方に変化が起き、「あぁただそれだけでいいんだ」と自分の考え方が楽になったからだった。
 
多分、ヒントが隠された出会いはたくさん転がっているんだと思う。自分は、偶然の出会いを自分の悩みをぶつけることで必然に変えた。自分の悩みを人に打ち明けるというか、話すということは、それ相応の勇気が必要になる場合もある。相談すること以前にも、今回の場合だったら「まだそれほどお互いのことを多く知らない間柄の方と会う」というミッションを遂行した。多分、勇気を出した行動というのは、勇気を出した分だけの価値がある。
 
そして、自分の物事の見方に影響を及ぼすような出会いは「人との出会い」だけではなく、それこそ本を読むことや映画を観ること、刺激的な音楽に触れることでも、自分は自分の中にある価値観を揺るがされたりもする。それは、言い換えれば、数多の出会いの中には強烈な自己肯定感を与えてくれる出会いもあるということだ。
 
人は、自分自身を肯定するために、未知なる出会いを求めるのだと思う。そして、未知なる出会いは人の思考回路に刺激を与えてくれる。

3 : 行動には未知への恐怖が伴う

自分は「人との出会い」によって、強い自己肯定感を得ることができたと思う。そして、「人との出会い」を引き寄せる上で、最大の障害になるのは、人に会いに行く直前に生まれる恐怖だと思っている。自分は傷ついてしまうんじゃないだろうかとか、恥をかいてしまうんじゃないだろうかとか、そういった類の自己防衛本能だと思う。何が起こるかわからないといった漠然とした不安だけではなく、ただ単純に面倒くさいと思って、人に会いにいくのが億劫になってしまう場合もある。
 
それでも、それをしなかったことで、その恐怖がまだそこに居続けるということを考えたら、さっさと自分が怖いと思うものにぶつかって、その恐怖を打破してしまったほうがいろいろと早い。

4 : 恐怖によって行動を起こすことができなければ現状維持、今のまま我慢を強いられることになる。

自分の話になるけれど、自分は我慢することで得られるものがあるならば、それは、最初からいらないと思ってしまう。天命が自分に我慢することを望むのでなければ、自分はできれば我慢はしたくない。意志あるところに道が開けるならば、自分は我慢しないことで、自分の道を開いていきたい。それで人生が破綻するのなら、それはそれで本望だ。

5 : 我慢は体によくないのでやっぱり行動を起こそう

自分は、「自分が納得いく形での行動」に美学を感じている。自分をすり減らすような行動は慎みたいし、できれば、無理はしたくない。だって、無理しないほうが、あからさまに元気な自分がいるので。自分の体は自分の進むべき道を知っていると思う。だから、自分の体がウキウキしてくれるようなほうへ歩いていきたい。
 
自分の体が勝手に動き出してしまうような、「その時」を待っている間、自分はよく「今の自分のままじゃだめだ」と思ってしまう。でも、「今の自分のままじゃだめだ」と思うことで、「今の自分のままがいいんだ」と思えるようにはならないと経験則で知っているので、ここまで話が長くなりましたが、さらに「今の自分のままじゃだめだと思う自分をいかに時の流れのまにまに漂わせるか」ということについても書いて締めていきたいと思います。
 
以下、おまけという名の主題へ続く……

今の自分のままじゃだめなのかい

「今の自分のままじゃだめだ」と思うのは、実際に今の自分がだめだからそう思うのではなく、今ある問題や悩みから解放されたいと思うから、人は今の自分のままじゃだめだと思うのだと思う。
 
そして、今ある問題は、自分自身が問題だと思っているから、問題も大問題になる。
 
自分の場合でしか例が出せないのが申し訳ないけれど、自分は生まれてこの方無職だし、だから当然収入もないし、義務教育を受けずに育ったので学歴もないし、世間一般で考えたら、多分、結構絶望的な状況にいると受け止められる場合もあるかもしれない。
 
でも、いま無いものを考えるのではなく、今あるものを考えてみたらどうだろうか。自分には住む家があって、元気な母親がいて、生活費には困っていない。元気な弟がいて、受け入れてくれるガールフレンドもいる。節約すれば月5000円は自由に使えるお金がある。5000円もあるのである。月に何度かカフェでお茶できるぐらいあるのである。食べるものにも困っていないし、インターネットも自由に使える環境にある。
 
自分には無いと思われるものはあくまで世間的なものであって、自分には有ると言えるものはあくまで自分的にあるかないか。自分が「ある」と呼べるものはいくらでも挙げられるけれど、自分的に「ない」と思われるものはほぼ皆無だ。

自分は自分のままでいいんじゃないかい

人は自分に無いと思うものがあると感じるとき、それは、必ずといっていいほど「外部からの刺激」によって自分にはあれがないこれがないと思い込まされる。たとえば、こうでなければいけないとか、ちゃんとしなさいとか、そういった類の世間的な圧力だ。正直一言で言えば、ちゃんと安定した職業について、これから安定して稼いで、これから世間様にいい顔見せて生きていきなさいとかそういったサムシングだと思う。多分、家族がこれを言ってくれる場合は、きっと、幸せを願ってくれているからだと思う、至極真っ当だ。しかし、真っ当すぎて、自分の性には合わない時があるのもまた然り。
 
この「外部からの刺激」があからさまな暴力やハラスメントだった場合には、そこから逃げることでしか自分を救える方法はないと思うが、ある程度の心構えの問題であれば、いよいよ自分自身の物事の捉え方次第でいかようにもなってくる。
 
物事の捉え方で自分を肯定するのもよし、そういった世間からのバッシングを受けないように逃避行するのもまたよし。いくらでも方法はあるはずだし、極論、自分の心構え次第でどうにでもなると自分は信じている節がある。
 
だから、自分に対しても、悩める人に対しても、ここでぼそっと呟きたくなる。自分は自分のままでいいんじゃないかい、と。

より良い出会いは、人生を肯定する。

外部からの刺激によって、自分を責めて止まなくなってしまうのなら、同じように「外部からの刺激」によって「自分の内部へ刺激」を与えてみたいと思う。
 
自分は、「自分を責めない」ということを肝に銘じている。だから、自分を責めないためにも、自分は「自分を救ってくれる出会い」を求め続けている。文化・芸術の生き血をすすることで、自分は自分を保っていると言っても過言ではない。
 
自分を救うために、自分を救ってくれる出会いと出会う。自分が救われたと感じるとき、それは、人の優しさに触れたときや、感銘を受けるようなアートに触れたときや、自分が最高に好きと思えるものに出会ったときなどだ。
 
そして、それらの出会いは総じて、自分自身に圧倒的な肯定感を与えてくれる。
 
より良い出会いとは、自分自身を肯定してくれるものであり、ひいては自分が今まで生きてきた人生すべてを全肯定してくれるものだ。
 
自分が一番伝えたいと思うのは、「より良い出会いは、自分の人生に対する見方を前向きに変えてくれるパワーがある」ということ。 
 
自分にもっと人生を生きていたいと思わせてくれるもの、それが自分にとっての「より良い出会い」だ。
 
油断するとすぐに自分はだめだと思ってしまう自分は今まで何人もの人から何度も「生まれてきてくれてありがとう」という言葉を頂いてきた。だから、これからも生きていようと思える。生きるということそれ自体が生きるに値すると言いたい。
 
自分は自分のことを肯定してくれるような出会いを求め続けていたら、自ずと自分を受け入れられるようになった。自分を受け入れられるようになって初めて、勇気を出せるようになり、勇気を出せるようになって初めて、人を信頼することができるようになった。
 
人はゆっくりと変化していくものだと思う。だから、もっと、ゆっくりと生きていてもいいんだと思う。自分の人生でしか見ることのできない景色を自分という名の特等席から眺めることを忘れないでいたい。
 
時に人は 「今の自分のままじゃだめだ」と思ってしまう。でも、それはきっと、否定的な捉え方だ。否定的な捉え方は人を変えない。人を変えるのは、肯定的な捉え方だけだ。自分は自分のまま個性を潰さずに生きていくのだという開き直りが、人をより良い出会いに導いてくれるものと自分は信じている。