みっつ通信

みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログです

いばや関連ブログ更新情報

自分の殻に閉じこもっている時は生きる意味を模索する。

心の状態があまり良くない時は、生きる意味について考えてしまうことが多くなる。正直、自分は生きる意味や生きる目的などは無いと思っている。誤解を恐れずに言うと、それはあくまで人が本来持つべき使命みたいなものは無いという意味であって、一個人としてであればどんな生きる意味を持っていてもその人の自由だ。
 
この時期は気温が急激に冷え込んでくるせいか、自分の心まで冷え込みそうになる。表は当然寒いから、外出も気乗りしない。徐々に自分の殻に閉じこもるようになって、気付けば物事の捉え方がネガティブになってしまっていたりする。ネガティブになるということは、多分、物事を否定的に捉えるようになることだと思う。何かについて否定をしてしまっている時の自分をふと客観的に眺めてみると、すごくつまらなそうにしている自分に気付く。
 
自分の殻に閉じこもりがちになるということが必ずしもマイナスであるとは思わない。殻に閉じこもるというとマイナスの印象を与えてしまうかもしれないけれど、よく言い換えれば、徹底的に自分に集中する時間が持てるということでもあると思う。自分は今そういう状況であるように思う。知人の情報を取り入れたいとは思わないし、自ら進んで人に会いに行きたいとも思えない。
 
仮に自分が開いている状態が良いもので、自分が閉じている状態が悪いものだとしたら、いくらでも自分の意志で心の状態を開いていればいい話のはずだ。でも、それができなくなる時期が自分にはある。だから、解釈も自ずと変わってくる。心が開く / 閉じるというのは表裏一体だ。開くがあるから閉じるがある。閉じるがあるから開くがある。だから、自分の殻に閉じこもりたい欲が溢れ出している時は、素直に自分に集中していようと思う。
 
自分に集中するということは、自分の場合、他人 [友人や知人も含めて] の情報をシャットアウトするということに近い。自分が動き出したい欲が有り余っている時は、他人の情報を得ることで、自らを発奮させたりすることができる。前向きな (心が開いている) 状態であるから、他人の情報も前向きに捉えることができる。しかし、自分に集中したい時に他人の情報を仕入れるとダメだ。自分はいとも簡単にうんざりしてしまう。
 
一人っきりで自分に向かい合う時、自分が本来やりたいことや行きたい道が見えてくる気がする。人は何かを求めている時 [つまりは心が開いている時] に行動を起こし、そして人と出会うものであると思う。しかし、誰かと出会って、その誰かと良い人間関係を築けたとしても、その関係性に執着してしまってはせっかく出会った意味も薄れてしまうように思う。
 
自分が求めていたものが手に入ったとしたなら、もうそれで満足して終わりのはずだ。だからこそ、何事も手放さけなければいけない時はやってくるのだと思う。その手放すべき瞬間こそが、自分の殻に閉じこもっている時なのだと思う。
 
冬のせいか、それとも自分の心のサイクルのせいか、たまたま今自分は徹底的に一人になって自分が本当にやりたいと思えることだけをやっていたい時期が訪れている。傍から見れば、時間を浪費しているだけにしか見えない事柄も、自分にとっては重要な時間なのだ。変な話、自分は今つまらない時間を欲しているのかもしれない。
 
そんな一人のつまらない時間を経て、最近なんとなく思ったことの一つに「生きる意味、それは、人を幸せにするということ」という何気ない気付きがあった。自分の一個人としての生きていく上でのいい感じの使命みたいなものだ。本能的な話をするなら、人間という生き物の一番の生きる目的は「生存」とか「生き延びる」ということそのものであると思うけれど、今の自分は幸いにも生き延びることできているので、改めて「自分のための理想的な生きる意味」みたいなものを持つとしたら、それは、「身近な人を愛しましょう」ということになるのではないかと思う。
 
自分の殻に閉じこもっていてもなお、自分の身近にいてくれる人を愛するということが、連鎖的に人を幸せにしていくということに繋がっていくのではないかと思う。人を愛するっていうと少し大げさかもしれない。ただ、その人との時間を大切にしたい気持ちだ。愛したいと思える人に気持ちを尽くしたい。そうすることで自分の生きる意味が広がっていくなら、それは、すごく幸せなことだと思う。