みっつ通信

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三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログです

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心持ちがかわいい人は無敵だ。

数日前に風邪を引いてしまい、二日間熱に浮かされていた。昨日になってだいぶ体調も良くなり始め、今は病み上がり状態ではあるけれど、心身ともに健やかに生きることに成功している。
 
それにしても彼女と家で過ごしている時間が長いからか、最近は現状に満足してしまっている感がある。お前最近満たされてないとか書いてたやんけというツッコミをしてくださる方がいらしたら大変嬉しい所存であります。人は矛盾している生き物ですよね。この「満たされ問題」については次回のブログ記事に詳しく書いてみる予定です。
 
そういえば昨日の夜も彼女と似たような話をしていたのだけど、その会話の中で彼女がした話が印象に残っている。彼女の知人に恋人と付き合っている時は仕事が終わったら速攻帰っていた人が恋人と別れた直後から職場の人にとにかく話しかけるようになったという。自分も一人暮らしとか始めたら寂しくなっていろんな人に話しかけたり、友人を家に泊めまくりそうだと彼女に言ったら、そういうところありそうと言われた。
 
思えば、16の頃にバイトに行っていた時期があって、今の自分でも驚くほどに周囲の人にとにかく話しかけまくっていた。怖いもの知らずというか、純粋だった。動機を考えてみると、もしかしたら他人に何かを強く求めていたということなのかもしれない。その何かとはなんだろうか。「つながり」だったのか、それとも「期待」や「希望」だったのか。今となってはあの頃の気持ちはあまりよく思い出せない。
 
その彼女との話の流れで、もうひとつ、彼女が話してくれたことがあった。自分と彼女の共通の知人がいるのだけど、その人は彼氏ができたら、誰から見ても一目瞭然元気ハツラツになったらしい。女性は恋人ができるとキレイになるとよく聞くけど、これは見た目に力を入れるとか以上に内面から溢れ出るキラメキなのかもしれない。
 
ついでにいうと前に見たツイートかなんかでも、男は恋人ができるとツイートが減る、女は恋人ができるとツイートが増えるみたいなつぶやきがあって、これはなかなかどうして真理感がある。
 
話は変わって、今の私は一人で買い物に出かけると時に傷だらけになって家に帰ってくることがある。肉体的にではなく、精神的にだ。自分でもおかしな話だと思うが、一人で外に出ると、すれ違う人や、店員さんの態度というか状態によって、異常なほどダメージを受けることがある。悲しいかな、私は病気だ。ここでは自分を慰めるために感受性が強いということにしておきたい。というわけで、邪気にあたって家に帰ってくると、私は買ってきたトイレットペーパーを抱えながら、弟になんで俺はこんな体質なんだろうと愚痴をこぼす。ウーム、自分で書きながら、俺はなんて面倒くさい奴だと思う。日頃から弟さんには迷惑をかけている。弟さん、ありがとうございます。PS4 Pro買ってくれてありがとう。
 
翻って、かわいい人を見ると超癒される。かわいい人というと誤解を招く恐れがあるが、具体的には"心持ちがかわいい人"だ。仕草が動物的であったり、なんというか、かわいい人はとても無邪気だ。邪気がない。のろけになるけれど、うちの彼女も動物的だ。なんじゃそりゃって話だが。犬が好きなせいか、時たま「わふわふ」と犬の鳴きマネをしたりする。文面にしてみると、非常に滑稽に思える。
 
さて、いろいろと書きましたが、もしかしたら「恋」というものは共通して人を可愛くさせるものなのかもしれない。「恋」といえば、最近星野源にはまっている。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」超面白い。恋ダンスまじかわいい。と、それはおいといて、自分は「直感」というものを信じる傾向にある。「人は第一印象で決まる」みたいなキャッチフレーズを面接本などでよく見かけるけど、自分的に言い換えさせてもらうと、「自分と合う人間かどうかは相手を一目見ればだいたいわかる」だ。
 
「恋」と「直感」をかけ合わせると、それすなわち「一目惚れ」というやつに近い。自分に人を見る目があるかわからない。人を見る目というのは何をもって人を見る目なのかよくわからないけど、自分と相性が良さそうな人は一目見ればなんとなくわかる。心のトキメキでわかる。逆に、「怖い」と感じた人はなるべく避けるようにしている。
 
多分、自分も含め人に邪気が発生するのは、その人自身に疲れやストレスが溜まっているということもあるからだろう。疲れて余裕がないときに人にやさしくするのは難しい。ましてや寝不足なんかだと世界が灰色に見えるし。
 
ニーチェが「あなたが深淵を覗くとき、深淵もまたあなたを覗いている」という言葉を残しているけど、邪気、つまりは毒に触れると、こちらも毒に侵される危険性がある。自分の話になってしまうが、14~15の頃に父親から受けた暴力によってできた心の傷は、肌感覚としては20歳を超えるまで癒えることはなかった。今になってみて振り返ってみると、やはり、10代の後半は荒れていたように思う。毒素が完全に抜けるまでは、とても長い時間がかかった。
 
今の私はのほほんと生きることができているから、ストレスについてはあまり深く考えずに済んでいる。しかし、ストレス社会と呼ばれる現代社会で仕事をしながら生きるということは大変な労力を必要とするだろうから、いかにストレスを発散するのか\という問題については、この時代を生き抜くにあたって避けては通れない重要なテーマと言えるのだろう。
 
というわけで、かわいい人に癒やされたいよね。今回もいろいろと好きなことを書いたけれど、最後に記事タイトルの「心持ちがかわいい人は無敵だ」の"無敵"の部分について語って締めたいと思う。
 
そう、無敵なんですよ。かわいい人は。かわいい人は文字通り敵がいないのだ。大人になっても無邪気でいられる人は、多分、敵を作らないから無邪気でいられるんだと思う。子供=無邪気さを連想するのは、子供には敵がいることが少ないからだと思う。それと、子供は疲れ知らずだからだ。大人にしろ子供にしろ、敵が増えるほどに疲弊する。疲れが極限に達すると、今の社会では人はうつになったりするのかもしれない。ちなみに、私の座右の銘に「太陽にあたればうつは治る」という言葉がある。もし、人間関係で心が踏みにじられそうになったら、少しでもいいから太陽にあたってもらいたいと思う。天気がいい日にお散歩するのもよし、庭先で日向ぼっこするのもよし。日光浴をすると、なんだか脳みそが浄化される気がするんですよね。
 
さて、今回も長文を書いた。余は満足じゃ。星野源の「恋」でも聴こう。