みっつ通信

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三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログです

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この世は仮想現実。

今年も残すところあと一ヶ月。今年はVR元年と言われていて、ネットを見ればバーチャルリアリティという言葉に触れることも多かった。
 
「PS VR」「Gear VR」「HTC Vive」「Oculus Rift」......正直VRに関しては「やってみたい」の一言に尽きる。
 
そういえば10月末に家から電車賃片道200円で行けるショッピングモールで「VR体験会」なるものが開催されていたので、彼女と二人で行ってきた。
 
5分ぐらいのプレイで一回500円という金額だったが、VRを買うには高すぎるし、一度体験したことがあるかどうかでは欲しさも変わってくるので、ちょうどいい機会だった。
 
その時はシューティングゲームをプレイしたが解像度が荒いという印象で、改めてまだまだ黎明期だなと思った。
 
個人的にはVRに関しては手を出すのはまだ早いかもと思う。その前にPS4 Proも買ったことだしそのパワーを活かしきるためにもまずは4Kモニターを狙わなければ。
 
でも最近は ZenPad 3 8.0 という7.9インチのタブレットに惹かれている。自分ASUSが好きなので、このZenPad 3 8.0はスペックの割には安価で久々に欲しいと思ってしまったタブレットだ。
 
自分が所持しているスマホもASUSなんだけど、少しバッテリー持ちが悪くなってきた気がする。なので、あわよくばの買い替えも考慮している。
 
ついでにいうと今こうしてブログを書いているノートパソコンもASUSで、昔持っていたタブレットもASUSだった。ASUSはコストパフォーマンスが高い機種が多いのでおすすめ。ちなみにASUSはエイスースと読む。
 
イケナイ、自分が欲しいものの話ばかりしてしまった。でも、「欲しい気持ち」が自分に行動を駆り立ててくれている側面もあるからいいよね。

この世は仮想現実

さて、本題に入る。
 
人はこの世のことを現実と呼ぶ。でも、人はそれぞれ見ている世界が違う。人はみな自分の主観を通してこの世を見ている。
 
よく「自分を客観的に見る」という言葉を耳にするけど、原理的には不可能だと思う。人間は自分という存在から逃れられない以上、すべて主観的にしか物を見ることはできないはずだ。でも、もしかしたら将来的に技術が発達して、自分とは違う別の人間に乗り替わることができるようになるかもしれない。そしたらもう自分じゃないじゃんって話だけど。
 
多分、物事を客観視するというのは、大多数の意見の寄せ集めを見るみたいな感じだと思う。自分ではなく相手の立場になって、であればその人を織り成す情報から相手の気持ちを汲み取るみたいな。
 
話がそれた。自分が言いたいのは、自分が見ている現実とあなたが見ている現実はまったくの別物じゃないかということだ。
 
現実はひとつじゃない。そして、その「現実」は自分の物の見方次第でどうにでも変わってくるものだと思う。鬼門に感じるのは、その物の見方は自分自身の体験を通じてしか変化しないくさいということだ。
 
 
突然だが自分は最初スタバに行くのが怖かった。だって、なんとかかんとかフラペチーノとか、サイズのトール・グランデ・ヴェンティとかまるで訳わからんかったから。
 
だから、注文する時に恥をかくんじゃないかという恐怖があった。変なこと言って白い目で見られたらどうしようとか無意識に怖くなっていた。
 
でも、それは杞憂に終わる。わからないことがあったら質問すればいいし、堂々としていれば何の問題もないことに気付いたからだ。
 
もし恐怖にひれ伏しスタバに入ることをためらっていたら、自分はスタバに飛んでいるWi-Fiを享受することはなかったであろう。
 
 
恐怖は自分自身が創り出している仮想現実だ。恐怖は現実をつまらないものにする。「恐怖」はイコール「未知」であって、自分が知らない世界に対し好奇心を持つことができれば理想だが、反対に恐怖心を持ってしまうと身動きが取れなくなる。
 
ささいなことだけど、自分はほんの少しの勇気を出すことでスタバは居心地の良い場所となった。恐怖→勇気→体験→対象に対する見方の変化。慣れもあるがこの一連の流れによって、自分の現実は再構築された。
 
現実は人の数だけあり、そしてその現実は今も形を変え続けている。そのことが自分にとっての希望になる。
 
 
ちなみに「この世は仮想現実」というのはこの世はシミュレーションだと言っているわけではなく、自分の体験を通じて対象への見方が変わる、だから何度でもこの世は再構築することができるという意味での仮想現実だ。
 
自分自身という人間はある種のスペックを持ったハードウェア [物体] であり、自分が見ている世界はソフトウェア [概念] だ。
 
VRと同じように、VRがハードで、VRで遊ぶゲームがソフトウェアだ。
 
一人の人間として生まれた以上、ハードウェア (カラダ) を変えることはできないが、自分が見ている世界を変えることはできる。新たなソフトウェアを自分の体にインストールすればいい。
 
そのソフトウェアこそが、体験だ。体験をすることで物事の見方に変化が生じる。できないと思っていたこともできるようになる。
 
例えば、去年の一月以前は自分には少なからず劣等感があった。自分には自信があるとは思えなかった。他人ができていることが自分にはできていない、そう思う気持ちによって、自分は自分の殻に閉じこもってばかりいた。
 
けれど、その一月を境に色々な人たちと出会うことによって、自分の心の氷の塊は徐々に溶け出していった。
 
自分の殻に閉じこもることは悪いことじゃない。ただ、閉じこもった上で自分自身を叩き続けていた。自分だけが自分のことを押さえつけていた。自分が創り出した仮想の世界に閉じ込められていた。すべてに苦しみが伴っていた。
 
自分は体験を通じて、自分を責めるということをやめることを学んだ。
 
 
本当はもっと自由になってもいいはずだ。自由とは縛られないことだ。フリーになろう。もっとフリーに。
 
 
「幸せな人は幸せには気付かない」。これは昔観た映画でとある登場人物が言っていた言葉だ。幸せな人は自分が幸せであることに気付かない。
 
幸せというのは失ってから初めて気付くのだろう。
 
それなら、幸せになることなんて考えなくていい。
 
ただ今を生きていればそれでいい。
 
どうせ今を生きるなら、すべてを楽しむぐらいの気概で生きていきたいね。
 
悲しいこともあるけど、この世でたったひとつだけの自分の現実をエンジョイしていこう。