みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

起こった出来事に印象を残さない。

29日はひさびさに熱海にある坂爪さんの家に行ってまいりました。
 
数日前に坂爪さんから「精神的助けになってください!(生贄になってください!)」と、わたり食堂へのお誘いがありました。わたくしは事前に今回は顔を出そうと思っていたので、「もちろんです!」と返信をしました。
 
今回は熱海に向かう電車の中でラマナ・マハルシの「不滅の意識」という本を読んでいたんですが、そこには「瞑想しなさい!」と何度も書かれていました。自分は長時間の電車移動に苦手意識を持っており、少しでも楽になればとの思いで、熱海に着くまでの三時間をその本を読みつつ瞑想しながら過ごしたのですが、熱海駅に着く頃にはいつも以上に疲れ果ててしまいました。瞑想は思った以上にエネルギーを消耗するみたいです。駅から徒歩で坂道を上っては下り、ようやく熱海の家に着き、玄関前の椅子に腰掛けていた坂爪さんに「瞑想しながらやって来ました」と伝えました。すると、「疲れたでしょ!」とすぐに核心を突かれました。
 
 
今回のわたり食堂は終始とても平和でした。結果的に坂爪さんから「これ一枚あげる!」と万札を頂戴した上に、帰り際には食材を紙袋二つ分とリュックサックいっぱいになるほどいただき、わたくしは生贄になるどころかむしろ生かされているなと思いました。
 
その場にいる人たちの平和さ、そして坂爪さんと自分の共通の友人が来てくれたのもあり、わたくしは精神的ダメージを受けるどころか、むしろ人との交流で癒された結果になったのです。いいことづくしです。
 
この日いちばん印象に残った出来事は、「逆立ち」でした。坂爪さんは最近体を動かすことにはまっているらしく、二点倒立できたらかっこいいよね! ということで、自分と坂爪さんは皆々様が帰られましたのち、壁に向かって二人で交互に何度も逆立ちをしていたことをここに報告します。
 
わたり食堂の最中には、ヨガの先生がいらっしゃっていたのもあって、坂爪さんがヨガを教わっていました。ヨガをしている間、坂爪さんが要所要所で「みっつーー!!」と叫んでいました。坂爪さんのヨガが終わったあと、自分も同じようにヨガを教わったのですが、なにぶんカラダが硬いもので、体が悲鳴をあげた瞬間には自分も「ケイゴーー!!」と叫ばせていただきました。自分がヨガをやっている最中に、誰かが「みっつさんの声癒されるね」と言っていたような気がしたのですが、もしも言った覚えがある方、最高にありがとうございます。
 
ヨガをやらせていただいた上に、ハンドマッサージまでしてもらったんです。最初は坂爪さんに親指の付け根あたりを「しねーっ!!」と言われながらぐりぐり指圧されたんですが、痛くて逆に「生きたいーっ!!」となりました。ありがとうございます。そして、じきにハンドマッサージの先生になる方にもハンドマッサージをしていただきました。右腕の裏あたりに何かがたまっていたようで、本気でぐりぐりしてもらったんですが、今日になった今でも指圧された腕に筋肉痛ような痛み、そしてよく見てみると内出血しているような跡も見受けられます。本当にありがとうございます。なによりハンドマッサージの先生に何度も何度も「手がキレイ!」と言われたこと忘れません。
 
というわけで、おとといは本当に体を動かす一日となりました。体を動かすと、頭に血流が回ったような気がして、より意識がはっきりする感覚を覚えます。普段から頭ばかり使っている自分にとっては、とても良い一日だったように思えます。(全身筋肉痛感謝!)
 
余談といってはなんですが、個人的に面白かった一言がありました。詳細は省きますが、電話越しのいばやの保科さんの「俺の年収は12500円だよ!」という叫びです。これまたありがとうございます。わたくしも見習いたいと思います。
 
 
自分にとって精神的ダメージを受けずに人との交流を終われること、それ自体が「楽しかった」と表現できます。ですが、多少自分の意識の持ち方も影響していたかもしれません。
 
前述したラマナ・マハルシの本に影響を受けていたというのもありますが、自分は今回、「起こった出来事に印象を残さない」ということを努めて意識しておりました。
 
ここからは自分の精神的健康法に近いことを書きますが、起こった出来事に印象を残さないようにすることは、多分、苦しみから解放されるひとつの手段であるように思います。
 
たとえば、おとといは「あ、今の自分の態度どうだったかな、ひとの気分を悪くさせたかな」と普段の癖でちらちらっと考えてしまう瞬間があったんです。ですが、そこを断ち切りました。想念が頭をよぎった瞬間に、自分の頭の中を空っぽにし、起こった出来事に印象を残さないように意識していたんです。「余計なことを考えるんじゃねー! おれ!」って。それがまた余計な考えなんですが。
 
「あの人はああいうひとっぽい」とか、はたまた「自分はこういう人間だから」とか、そういう類のレッテル貼りに近いことが頭に寸分でもよぎったときはすぐさまに「無」になろうと努力していました。努力嫌いなんですけどね。
 
過去のことを後悔するとか、ひとに対して怒りを抱いてしまうとか、そういうのはきっとその瞬間に吐き出せなかった感情が場面と結び付くことで、その起こった出来事に印象が残ってしまうのだと思うのです。それが自分を苦しめることになる。頭の中が空っぽな瞬間は怒りとも後悔とも切り離されています。
 
騒がしい頭の中を静かにする。考えすぎないようにする。それだけでずいぶん楽であれるような気がします。起こった出来事に意味などない。ニサルガダッタ・マハラジは、記憶すること、期待すること、想像すること、これらは好ましくないと言っておりました。いろいろとそうそうに忘れていきたいものですね。
 
あるがままの自分があるとしたら、それは頭の中が空っぽな状態であることと近いような気がします。意識的に努力して無になろうとすることが瞑想であり、その瞑想自体は何をしているときでもできるはずで、実は無意識的に瞑想状態に入っているときも普通にあると思います。文章書いてるときも頭で考えてそうで実は瞑想状態なのかも。
 
瞑想をしようという話というよりは、起こった出来事に印象を残さないようにする意識が自分を楽にしてくれているということを今日は伝えたかったのであります!! ここまで読んでくださってありがとうございます!!
 
 
今回の熱海でもブログ読んでますと二名の方から言っていただき、今日のブログを書く原動力になりました。ありがたい限りです。
 
そういえば、坂爪さんは「どんなに無愛想な人でも、その人の奥底には、必ず可愛い女の子がいる」と思って女性と話すそうです。この日もっとも印象に残った言葉になりました。