みっつ通信

みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

最近思うことあれこれ。

数ヶ月前に彼女が言った言葉をよく思い出す。その言葉とは「全部『もっとギュッとして!』を遠回しに言っているだけだと思うんですよ」だ。自分はよく喋るときがある。いろんな態度で気持ちを示そうとしたりもする。そんな自分のアピールはすべて遠回しに「抱きしめて!」と言っているだけなのかもしれない。ということで今日は最近思うことあれこれについて書いてみようと思う。
沈黙について
口や態度がうるさくなっているときの自分が愛されたいと望んでいるときだとすれば、"沈黙"はそれを自分に気付かせてくれることがある。沈黙は多くを語る。口で話すよりもずっと多くのことが沈黙では語られることがある。静かな時が流れるだけで自分が問われているような感覚になるときもある。多分、沈黙というのは自分を内側に向けさせてくれるのだろうと思う。沈黙といわずともただ静かに自分の話を聞いてくれる人が身近にいることで自分がどれだけ救われてきたか。自分が荒れているときに自分の話を相手がただ頷いて聞いてくれている。その瞬間に自分はハッとする。「なぜ自分はこんなにも怒っているんだ?」と気付かされる。静けさは自分の内側を見ることの大切さを教えてくれる。
ミニマリズムについて
自分は家に物をあまり置いていない。必要最低限の物さえあれば暮らしていける。物が少ない分、どんなに小さなものでも何かしらの物体が家に入ってくると急に心が落ち着かなくなることがある。その時に自分は「家の中と心がリンクしているな」と思ったりする。食べ物は消化できるから形として残ることはないので比較的大丈夫。だけど本当にちょっとした"物"が家の中に紛れ込んでくるだけでそれが気になって仕方なくなる性質だ。そんな折にミニマリズムについて考えていた。まずミニマリズムとは「所有を減らす」ことだよなと。そしてなぜ所有を減らさなければならないのかと考えた。
 
「所有している感覚」は自由を減らす。所有物が少なくなることで杞憂が減る。自分はよく何もかも捨てて裸で草原の上に転がってみたいなと思うことがある。そして夜空を見上げる。きっとその時には「あぁなんて自由なんだ」と気持ちいい風が吹く気がするから。所有はノイズだと思う。金があるならあったで金があるということにとらわれる。そして今度は失うことに恐怖を抱くようになる。金だけではなく物全般に言えることだ。自分は契約が嫌いで契約をすると自由を奪われる感覚になる。いま住んでいる家は自分名義ではないのでそれだけで少し楽になるくらいだ。自分は物だけではなく物を維持するために必要な契約等も必要最低限を望んでいる。
 
物が減れば減るほど体が軽くなるような気がする。心の重荷が取れる。でもそれは所有を減らしているだけだ。あくまで所有を減らしているだけであって、所有欲がなくなったわけではない。多分、本当の自由は所有欲がないことだ。「いま目の前にあるものが自分のもの」だと思わなければ、あえてミニマリズムを追求する必要がない。家の中にあるものが全部自分の物だと認識しているから物を減らそうとする。もしもこの瞬間に「すべて私のものではない」と思えたなら、もう物を減らす理由はどこにもなくなる。「手放す」というのは物を捨てることではなくて、心から執着を取り除くことだと思う。そしてミニマリズムそのものは"助力"だと思う。執着を手放す手段として断捨離がある。
煙草・酒について
依存や中毒の症状が出るものといえば煙草や酒などがある。ドラッグなどもそうだ。カフェインもドラッグだ。一般的には煙草や酒などの類はやめたほうがいいと言われることが多い。が、人はなぜ煙草を吸い、酒を飲むのかの理由まではなかなか考えられない。もちろん健康的には害だ。同じようにギャンブルなども依存するものであり、世間的にはやめろと言われやすい。が、なぜ依存しているのかまでは行き届かない。個々人の依存している理由は無限だ。問題はそれに依存している理由が何なのかではない。人はなぜ依存するのかのほうが問題だ。そして本当に依存はいけないことなのか。
 
人は本当の自分に出会いたいから生きているのだと思う。生まれたままの自分を思い出したい。幸せに辿り着きたい。満ち足りたい。すべてはそこに行き着くための過程でしかない。むしろ結果などなく過程しかない。過程そのものが結果ともいえる。「幸せ」という言葉は安易かもしれないが、人は誰しも自分なりの幸せを実現したいと思っているはずだ。自分が言いたいのは、どの"依存"もすべては本当の自分にしがみつくための助力だということだ。幸せとは本当の自分であることだと思う。煙草を吸うのは本当の自分でいたいからだろう。酒を飲むのは本当の自分でいたいからだろう。依存することで自分を見失おうとしているわけではなく、依存することで真の自分を思い出そうとしているのだと思う。依存する対象が人を依存させるのではなく、依存しなければやっていけないから依存する対象が生まれる。必要は発明の母だ。