みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

「正しさ」とは何なのか。

「正しさ」とは「答え」だと思う。人はどんな事柄においても、答えを見つけ出そうする習性があるように思う。理由は簡単で、「答えを見つけ、答えに従っていれば、それ以上、考えなくても済むようになる」からだ。
 
「考えること」は思った以上にエネルギーを使う。疲れているときに考え事をしても埒が明かないのは疲れているからだ。ぐっすり眠って、エネルギーを回復させないと、人は考えることもできなくなってしまう。
 
「考えない」でいることは楽だ。考えなければ消耗しないが、人には「循環欲」的なものがあると思う。血の巡りを良くしないと体全体が淀む。エネルギーばかり蓄えていても腐る。人は循環することを「生きる」と表現している。体を動かすこと、思考を働かせること、それ自体は循環だ。
 
何もしないでいると退屈する。退屈は「行動欲」の裏返しだと思う。「何かしたい」と思っているときは大抵退屈が原動力になっているはずだ。同じような日々の繰り返しに退屈するから、人は行動し、「生きる」ことを実行しようとする。
 
「生きること」は自分のためにもなるし、他人のためにもなる。自分が循環することで潤えば、潤いは他人にも伝染していく。滞ることは体に良くない。人は「動く理由」がないときにこそ、より思考を働かせる生き物なのではないかと思う。
 
思考は正しさを追求する。何がいったい正しいのか、どうすれば楽しく生きられるのか、現実とは何なのか。こうすればいいのか、こうしなければいけないのか。何をしたらいいのか、何をしなくてもいいのか。人は真理を求めて彷徨う。
 
人それぞれの経験と思考が答えを導く。人の数だけ答えはあり、人の数だけ現実がある。答えは、脆くも儚いものだ。答えは信じ続けなければ消えてなくなる。信じ続けなければ消えてなくなるようなものは真実ではない。
 
唯一、正しさと呼べるものがあるとするなら、それは「自分は正しくないかもしれないと疑うこと」だと思う。
 
一つの物事についての見解でさえ、人の意見はバラバラだ。哲学も心理学も科学もテクノロジーも結局は同じところに収束するような気がしている。行き着く場所がどこなのかはわからないが、一つ言えるのは、全てにおいて「疑いを持つこと」が原点になる。
 
何かを絶対的に信じることは生きることを楽にするが、多分、その先に変化はない。個人的には信じなくてもいいことを信じたいと思う。信じなくてもいいから、自分が何を信じているのかさえわからない。それぐらい曖昧でちょうどいい気がする。本当に大切なものは目に見えないし、言葉にできない。