みっつ通信

みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

純粋でいたい。

自分の過去の文章を少し読み返していたら、なんだかとても小難しい印象を覚えた。あらま~。
 
いつからこんなに俺の頭の中は堅苦しくなったのだろう。
 
うーむ、できれば柔和でありたい。
 
今日はひさびさに坂爪さんとの出会いの記事を改めて読んでみた。
 
 
自分でいうのもなんだけど、ちょっと感動してしまった。
 
あの時の純粋な心は、今の自分にどれくらい残っているだろう。
 
「本当の純粋さは汚れた後に気付く」と坂爪さんの言葉を読んだ。
 
あれから二年、自分はけがれたのか。それとも純粋さを保ったままでいるのか。さっぱりわからない。

気持ちのゆきかい

それにしてもひとから物を贈ってもらえるととても嬉しいのは子供のころから変わってない。
 
まだ一桁後半だったかの年齢のときに父親の知り合いのひとからゲームキューブという任天堂のゲーム機を買ってもらったことがあった。
 
子供心にこんなに高いもの買ってもらっていいのだろうか、と思いながらも実際にそれをプレゼントされたときはとっても嬉しかった。
 
当時はゲームをすることが楽しくて仕方なかった。
 
年齢を重ねるにつれ、自分はなにをしてる時が楽しいのかよくわからなくなった。
 
 
慣れは飽きを呼ぶのかもしれない。
 
ただ、ひとつ子供のころから進化したかもと思えることがある。
 
それは、すべてのひととの触れ合いが新鮮に思えること。
 
少年時代には感じられなかった、「ひととのコミュニケーションから得られる充実感」が今はある。
 
たぶん、ひととの触れ合いは飽きることはない。
 
物をもらって嬉しいのは、その物の先にひとがいるからだと思う。
 
物そのもの以上に、それを自分に贈ってくれたことが嬉しくてたまらないんだ。

好きなひとができたよ

本音をいうと、自分はあまり人付き合いが得意ではない(好き嫌いがはっきりしてるのかもね)。
 
だからか、ちょっと初対面のひとと話したりすると、その瞬間には無理してるつもりはなくても、あとで家に帰ってからドッと疲れがやってきたりする。
 
ただ、この疲れには心地よさがあったりする。
 
ひととコミュニケーションをとったことで「やった感」が溢れ出してくる。
 
しかも自分の足でひとに会いにいくということ。会いたいひとがそこにいるから、という理由ひとつで、自分は行動をした。そのことが自分で嬉しくなる。
 
疲れてもいい、損をしたっていい、ただその先に会いたいと思えるひとがいるから、自分は進んでいくことができる。
 
子供のころの自分に向けて、いまの自分が誇れることがあるとすれば、きっとそれは「好きなひとができたよ」ってことだと思う。
 
純粋でいたいなあと思う。
 
子供のころの自分によく生きたねって言ってあげたい。
 
いまの自分はひとを愛するっていうことを少しずつ覚えはじめたよ。
 
今までの自分が純粋さを守り通してくれたおかげだね。
 
たまには自分自身にありがとうと言ってあげてもいいかなって思う。
 
これからも、よろしくねって、自分は自分を見捨てないよ。ずっと、ずっと。