みっつ通信

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三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログです

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愛されたいなら愛するしかない。

昔、弟とは「まったくの他人として俺らが出会っていたら、間違いなく仲良くはならなかっただろうな」という話をしていたことがある。
 
俺たちはどこか噛み合わなかったのかもしれない。
 
しかし、今はもう愛する家族も同然だ。きっと、あの頃も今も絆は変わってない。
 
ずっと、兄弟喧嘩ばかりして育った。環境的に喧嘩に走ることでしかストレスを発散できなかったんだと思う。
 
結局のところ、家族というのは血がつながっていようが他人でしかない。
 
俺は俺。お前はお前。これは永遠に変わらないと思う。
 
ただ、ひとつ今になってわかったことは「自分が手をかけるから愛情になる」ということだ。
 
俺たち兄弟もそうだった。家族じゃなかったら、兄弟として生まれなかったら、これほどまでに仲良くなれていたとは思わない。
 
今の私は弟がいるからこそ孤独を感じずにいられるのかもしれないと思う。
 
ずっと同じ屋根の下で暮らし続けているから、否が応でも向かい合うしかなかった。
 
そのことによって、愛が育ったんだ。
 
多分、誰にでも言えることだと思う。
 
最初はみんな赤の他人だ。次第にその人のことを知っていくことによって、親近感が湧き、友情や恋愛感情などが芽生えたりしていく。そして、その人は自分にとってかけがえのない人になる。
 
今までも自分は経験してきた。
 
誰でもない赤の他人が、自分にとって大切な存在になるということを。
 
愛の結び付きの中には好き嫌いはない。好き嫌いという概念をこえて、何度も向かい合って、それがいつしか愛になっている。
 
家族がもっともわかりやすい例だ。
 
好きとか嫌いとか言ってられない状態に置かれると、どうしたって相手と向き合わざるを得なくなる。
 
それは、悪いことか。違うと思う。
 
家族という概念が愛を教えてくれることがある。
 
同じ屋根の下でずっと付き添っていくということ。これ以上にお互いを知る術はあるのだろうか。
 
「その人を知る」ことからしか何も始まらない。
 
相手のことを知っていれば、全部許せるようになる。
 
相手に対して怒りを抱くのは、相手のことを何にもわかっちゃいないからだ。
 
 
自分が大切にしたいものがあるほどに人生は豊かになるんじゃないかと思う。
 
私は「愛されたいなら愛するしかない」という言葉が好きだ。
 
愛するということでしか、自分の大切は育めない。
 
愛して、愛して、自分にとってかけがえのない存在が増えていく。
 
愛するということは、相手を自分の一部にするということだ。
 
大切な人を失ったとき、心にぽっかりと穴が空くのは、その人が自分の心の一部だったからだ。
 
自分の心の空白を埋めるには愛するしかない。
 
愛されたいと願うときこそ、愛することを選ぼう。
 
愛したい人はもう目の前にいるはずだ。
 
孤独だったら自分をとことん愛せばいい。
 
愛せ、ひとつずつ、ひとつずつ。