みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

5月の合言葉は「全部笑い飛ばす!」

どうも!三森です!いきなりちなみにですが、最近は初めましての方にご挨拶するときは「みつもりです!」と名乗るようにしています。元々は「みっつです!」と自己紹介していたんですが、みっつと名乗ってしまうと、場合によっては初対面の方に「ああ!あのみっつさん!」と(とっても嬉しいんですが!)印象を持っていただけてしまうので、なるべく本名を名乗ることで、まずは「純粋な個人」として見てもらいたいなという欲が高まっています。そう、私は三森正道です!(名前ってすごいね! 名前だけでその人自身を表せるなんて!)
 
 
初っ端から余談で始めましたが(以下全て余談になります)、みなさまゴールデンなウィークはいかがお過ごしでしょうか。私は弟とゲーム三昧の日々を送っています。
 
今回は5月の合言葉を言いたいがためにこの記事を書いているところがありますが、どうせ文章を書くのであれば、最近私が思っていること(どうでもいいけどどうでもよくない話)を書けたならばいいなあと思っております。
 
というわけで、以下、私のどうでもいい話にお付き合いください!!!

どうでもいい話・1「いやな思い出なんてないぜ!」

最近は事あるごとに「いやな思い出なんてひとつもないよな」と思うことが多いです。私の敬愛する坂爪圭吾さんも言っておりましたが、「一生懸命に生きた記憶が思い出になる」。これは本当に真だな!と思っておりまして、時折、「過去の記憶に苦しめられる」ことってあるじゃないですか。あの瞬間、「俺は存在してはならなかった」とか、あの瞬間、「あの人には嫌われてしまったかもしれない」とか、いろいろと自意識が爆発をして、結果的に死にたくなるんですね。(え?まさか俺だけ?)
 
でも、思うんです。岡本太郎さんも言っておりました。
 
俗に ”失敗は成功のもと” という。そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが、また生きる喜びなのだ。通俗的な成功にいい気になってはならない。むしろ ”成功は失敗のもと” と逆にいいたい。その方が、この人生のおもしろさを正確にいいあてている。
 
たんたんとした道をすべっていくむなしさに流されてしまわないで、傷つき、血のふき出る身体をひきずって行く。いいようのない重たさを、ともども経験し、噛みしめることだ。それが人生の極意なのである。
 
引用元・岡本太郎「自分の中に毒を持て」より抜粋

 

成功は失敗のもと!! たしかに私はよく前にあった出来事を思い出しては、「あれは失敗だったかもな」と自分を責めたりもするんですが、否、失敗でよろしい!! その「失敗をした」という記憶こそが生きている証だ!!(と、自分に言い聞かせたい)
 
ひとは記憶によって傷つくけれど、それはその時一生懸命に生きたからこそ傷つくんだ。私はたまに思います。青年期のころ父親に連れ回され、いろいろとひどい思いを抱いていた日々を思い出し、「ああ、思い出になっている分、まだいい」と。逆に思い出も何もなく、まさに「たんたんとした道をすべっていくむなしさ」に流されてしまっていた10代後半のころのほうがずっとつらかったような気がする。だから、今の私はまだ傷ついているからいい。頭だけで悩んでいた時期と比べれば、まだ今の身体を通した経験によっての辛さのほうがずっと生きている心地がする。たしかにいつまでも同じ記憶に翻弄されるのは苦しいけれど、「喉元過ぎれば全部ネタ」だと思えば、傷ついた記憶もネタにして笑い飛ばせる。
 
4月は自分をフリー素材として開放し、「私の役割、それは死ににいくこと」と題して、私的には近年稀に見るほど「ひとと会う」ことを繰り返しました。たしかに傷ついてしまうこともありましたが、ほとんどは自分のとらえ方次第でどうにでもなるものだという確信も得て、以前と比べると、ほんとうに回復力が早くなりました。これは個人的にはすばらしいことで(成長か!)、傷の回復力が早くなると、すぐに「次だ!」と行動が起こせます。
 
言いたいことが多すぎて、まだ言い足りないですが、最近は「嫌われるはしょうがないが、嫌うはダサい」という謎の思いがあります。

どうでもいい話・2「嫌うはダサい、嫌われるはしょうがない」

変な話が、過去の記憶について苦しんでいるということは、「まだ何かを許せていない」ということではないんではなかろうかと思います。私が、傷つきに傷つきを繰り返していた去年や一昨年を思い返すと、相手に悪意がないとしても、自分は相手の言葉によって傷ついていた。多分、端的に言うと、「相手を嫌っていた」のだと思います。
 
決して嫌うことを否定したいわけではなく、ただ、相手を嫌っているということは相手のことを思い出したり、その嫌うという感情を通じて相手を頭に浮かべているとき、単純に「時間を無駄にしているのではないか」と思います。
 
言ってしまえば、「悩むことや後悔することは全部時間のムダ」なんだと思いますが、同じように、嫌うということも時間の無駄なような気がしています。
 
嫌われて気持ちのいいひとはいないだろうし、嫌って気持ちのいいひともいないでしょう。嫌われることに関しては自分の手の届かないところの話なのでしょうがない。でも、嫌うかどうかはある程度自分自身の意識の持ち方によってコントロールできるのではないか。「許す」という行為を通じて、「嫌いなひとが嫌いでなくなった」ら、さぞかし生きやすくなるのではないかと思う。

成長とは、許せるようになること。

これは前々から思っていることですが、「成長とは、許せるようになること」なんだと思います。思えば、私はずっと嫌っていた父親に対しても、「もういいや、許そう」となったあたりから、ぐっと世界が広がったように思います。いつまでも死んだ父親に対して恨みつらみを述べていても、それでは、「嫌いなはずの父親と頭の中で共に居続ける」という矛盾を抱えることになってしまいます。「許せる」ようになるまで、多分、私はそれなりに時間もかかりましたが、思えば、「許そう」という思いを抱いた瞬間から、父親の面影を「忘れる」ことができるようになっていった。多分、許すということは忘れるということです。それに一旦「許す」と腹を決めてしまえば、不思議と許せるようになり、いま時間が経って思うのは、「許してしまえば、ひょんなことから父親のことを思い出しても、ああ、あんなことあったよね」と半ば笑い話にできるのです。殴られた思い出も、全部、ネタです。

5月の合言葉は「全部笑い飛ばす!」

自分は何がしたいのかなあとふわっと考えたりしますが、なんだかただ「この世にはびこる重たい空気を笑い飛ばしたい」だけなのかもしれません。ひと様の抱える問題について「悩むな!笑い飛ばせ!」と言いたいわけではない。私自身も悩みを抱えて生きていた時期は長かったので(今は幸い悩みも不安も何もない!)、もし仮に当時の私に向かって今の私が「悩むな!笑い飛ばせ!」と言ったところで、逆に一笑に付される可能性が高いです。「お前に俺の何がわかるんじゃい!」と。
 
だから、他人に言えることは何もない(過去の自分も他人だと思う)けれど、少なくとも今の自分なら今の自分の現状についてぐらい笑い飛ばしたいし、もし、誰かが「こんなことあったけど笑ってほしい」という話をしてくれるのならば、一緒に笑い合いたい。
 
 
今日書いたこと全てについて言えるのは、「全部笑い飛ばそう!」ということで、生きているだけで充分頑張っているんだから、いまこの瞬間くらいは笑い合えたらいいよねということでした。
 
さあ、どうでもいいことにはどうでもいいと言って生きていきましょうぜ!!!
 
では、さようなら!!!
 
 
 
PS 5月も引き続き、自分自身をフリー素材として開放しておりますので、三森正道と会ってみたいよ!という方がいましたら、ぜひお声掛けくださればと思います。(返信がなかったら、傷だらけなんだね…...と大目に見てやってください)
 
連絡先:masamichimitsumori@gmail.com