みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

自分の可能性を諦めないこと。

先月の記事の続きを書こうとしましたが、過去の出来事を書こうとすることができません。だって、もう過去だから!! 過去など存在しない!未来は今!!というわけで、今日は最近思うことあれこれを書くことにします。

自分を嫌いになる前に自分に飽きる。

自分を嫌いになる前に自分に飽きてしまえばいいのだ。嫌いになりそうな自分を一秒でも早く捨てること。そして、新たな表現方法だったり、いつもの自分とは違った行動を取ってみること。そうするとまた新たな自分と出会える可能性がある。

嫌(苦手)なことはいくらやっても嫌(苦手)なままであることが多い。

苦手なことに何度も挑むことは大切なことかもしれないと思う。それはきっと、自分の好き嫌いを知ることができるからだと思う。「人と話す」ということが好きなのか、嫌いなのか、人と話してみるまでわからない。だから、人と話すのが怖いなあと足踏みをしてしまう前にとりあえずやってみることなんじゃないかなと思う。そうしてみると、ああ自分は案外これは好きだ、とか、ああこれはいくらやっても苦手だとか、そういうことがわかるようになる(自分を知る)。

自分がいちばん楽だと思ったやり方が正解だったりする。

自分を表現しよう、となった時に最初にぶち当たる壁が個人的にある。それは、自分をどういう枠にはめたら、他人により良く思われるだろうとかそんなところだ。でも、最近は思う。自分を既存の枠にはめて何かを表現しようと思っても高確率でうまくいかない。多分、その既存の枠は他人が用意した枠であって、自分にとっての枠ではない。どう当てはめてみようと思ったって、形が違う。
 
だから、自分は自分にとっていちばん楽な道を選んでいきたいと思う。その道をゆくことが結果的に自分という人間を形作る。月並みな表現かもしれないけど、「自分の心の声に従う」ことだと思う。好きに向かって一直線、嫌いには素直に断りを入れる。
 
自分が一番「やり慣れたやり方でやる」ということだと思う。

自分を持つということは、他人にどう思われるか気にしなくなるということだ。

「自分があるひと」と聞いても最近まではなんだかよく意味がわからなかった。が、人と会話をしているうちになんとなくだけど、「自分があるひと」とはどういう人のことを指すのかわかってきた気がする。多分、「他人に嫌われないように生きていないひと」のことなのかなと思う。
 
個人的に「俺は俺だ」と胸の中で唱えると、すっと「まだ生きよう」と思えるところがある。たびたび死にたくなる症候群が湧き上がる私だけど、闇に呑み込まれそうになった時に、今一度「俺は俺じゃボケえ!」と強めの覇気で自分に言い聞かせると、「そうか、俺は俺か」、それなら、他人と比べていたって仕方がない、もっと自分を生きよう、と思える。

他人と比較しないということ。

多分、今の時代は競争社会というやつだと思う。結構、はっきりと勝ち負けが決まる世の中なのかなと思う。だから、負け組とかそういう言葉が出てくるのだと思う。けど、他人に勝つか負けるかなんてすこぶるどうでもよくて、問題は、自分に勝てるかどうかなのかじゃないかなと思う。「自分に勝つ」という言葉が適切なのかどうかはわからないけれど、少なくとも「自分に負けない」ことだと思う。
 
今は誰でもネットにつながり、みんなSNSをやっている。これは自分もそうなんだけど、どうしたって人にはいいところを見せたいと思っている。だから、自分にとっての幸運とか、自分がかっこよかった瞬間とかを他人に見せびらかしたくなる。(言ってしまえば承認欲求ってやつなのかもしれない)
 
そうすると、SNS上はハッピーなパラダイスばかりのように見えてくる。なんて自分はくすぶっているんだろうとか、なんて自分は惨めなんだろうとか、すぐに自分を責め始めてしまう。仕方のないことだと思う。でもそこで、いかに「俺は俺だ!自分を生きよう!」と自分という人間のど真ん中に還ることができるのかが超大切なんだと思う。

自分は自分のベストを更新することに集中したい。

これは昔から個人的に思っていることなんだけど、自分自身にとっての「不幸」は他人と比べられるもんじゃない。たまに、「みっつさんの過去に比べれば私のつらかった体験なんて大したことないんですけど...」というニュアンスで話を切り出す人がいる。けど、俺は「そうじゃない!」と思う。自分にとっての不幸(幸福ともいっていい)は他人と比べられるもんじゃないと思う。
 
自分はたしかに親に暴力をふるわれたり、学校に行くという選択肢を自分で持つこともできなかった。けれど、それは自分個人の問題だ。それなりに辛かった思いもしてきたけれど、今となってみればもう過去だし、どうってことない。今の自分が形成されたのはその過去のおかげだと思えるくらいには過去に感謝したっていいくらいだ。
 
人は「過去のせい(環境のせい)」にしている限り、今を生きることはできないんだと思う。だって、常に過去のせいにしているのなら、今はその過去があったからという理由ですぐに過去のせいにしてしまう。すぐに身近にいる人間や家族を批判の的にしてしまう。でも、違う。今この瞬間に"自分を許せ"ば、むしろ過去が問題になるどころか、過去があってくれての今なんだと思えるはず。
 
自分の喜びや悲しみも全部含めて、すべての体験は今の自分を形成しているはず。それなら、過去を認めて前を向かない限り、いつまでも自己否定を繰り返すことになる。一回、全部受け止めてしまうことだと思う。他人がどう思うかではなく、自分がどういう選択を取ったら最善なのか、それを真っ先に考えることだと思う。
 
自分にとっての辛さみたいなものは他人と比べられない。不幸は比べられない。それならひとの幸福だって自分とは比べられない。他人が成功しているから自分も成功しなきゃなんて、それはただの焦りだ。焦りを持ってもいいことはない。不安を原動力にした行動より、自分は楽しさ(こっち楽しそうだな)の感覚に従って生きていきたいと思う。
 
自分は自分である、だから自分を生きていよう、そして今の自分が嫌いになりそうになったら、すぐに今の自分を捨ててしまえばいいのだ。嫌いになりそうな自分につかまっている時間より、新たな可能性のある自分につかまろうとしている時間のほうが人は輝くんじゃないのかなと思う。
 
生きていてもいいから生きているのだ。自らで自らの可能性を失おうとしなくてもいい。思ったことを言えばいいし、自分の心が躍るほうへ向かって歩いていけばいい、とそう思う。そう自分は思い続けたい。