みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

まずは自分を疑え。

人のせいにしない。

多分、子供の頃から何度も聞かされるであろう、「人のせいにするな」。残念ながら、これには反発できない。本当にその通り。自分が楽しめないことを他人のせいにしたり、自分が「頑張ってるから」という理由で頑張っていない(と、自分が思う)相手のせいにしたり。「人のせいにするな」の"人"の中には自分自身も含まれている。

頑張らないことを頑張る。

「頑張れ」と聞くと、もっと努力しろとか、もっと一生懸命になれとか、そういう意味にとらえることが多い。けれど、自分は「頑張れ」は「無駄な努力をするな」という風に解釈している。「それいる?」ということをいかに省いていくか。たとえば、自分にとって「どうでもいい人」に愛想よくする必要はない。自分にとって「最高な人」にも愛想よくする必要はない。できない自分をさっさとさらけ出す。そのだめな部分を「いいね!」と言ってくれる人とは自然と仲良くなる(ことが多い)。

雑より丁寧。

これは超言いたい。雑さは「よくないね」と。丁寧さには「超いいね!」と。人間疲れてくると雑な部分が出てくると思う。それではどうしたら疲れないのか。経験則的に「自分を丁寧に扱うこと」だと思う。これに尽きる。自分に優しくできない人は他人にも優しくできない。他人のゴキゲンをうかがうほど、自分のゴキゲンが斜めになる。したくないならしない、無理をしない。それだけで、充分、清々しく生きられる。

他人の評価を気にしない。

他人の評価より、自分自身のことをどれだけ評価できるかの一点に集中したい。経験則的に他人にちやほやされているとき、承認欲求は満たせても、心の奥のどこかでは虚しさを感じている。しかし、自分自身が「これは本当にやってよかった」と思えることをやり続ける限りは、心の充足感が凄まじい。他人の評価を気にすることができるほど、自分は優秀ではないので、しばらくは自分がどれだけ自分に対して「いいね!」と言えるかだけに集中したい。

人数の多さと会話の浅さは比例する。

前に友人から聞いた言葉で印象に残っているのが、「一対一で話すのが一番楽しくて、人数が増えるほどつまらなくなる」。当時の私は「わかる!」と思った。が、今の私はもっと「わかる!!」になってしまった。多分、集団になるほど、意識が散り、会話も浅くなる。自分はグループに適応できるほど優秀な人間ではない。ので、一人の人と深い会話をしたいと思う(そうでない場合もある)。

最高のアクションとは。

精神的に消耗するときは、大抵、「思ったことが言えない時が続くとき」ではないかと睨んでいる。逆に、思ったことが言えているときは精神が右肩上がりで回復する。うまく言えないけれど、「ごまかさない」ことが大切なんじゃないかと思う。多分、最高なアクションとは、自分が楽になるアクションとイコールだ。

遊びには二種類ある。

遊びには二種類あると思う。ひとつは自分から目をそらすための遊び。もうひとつは自分と向き合うための遊び。自分は後者を選び続けるために生きてる。自分と向き合うということは、他人と向き合うということとイコールだと思っているし、自分から目をそらすことは、他人からも目をそらすことだと思っている。自分自身とのコミュニケーションを忘れちゃいけないんだと思う。

遊びとは。

自分は合コンによくあるような「うぇーい!」的なノリの遊びは望んでいない。ストレス発散のためにする遊びも嫌いだ。自分が本当にやっていて楽しい遊びは『会話』だ。気の合う人と会話をしている時間が一番楽しい。広い意味では「コミュニケーション」なのかもしれない。心と心を通い合わせるような会話ができているとき、本当に生きていてよかったなと大げさではなく思える。

ポジティブは語らず、ネガティブを語れ。

自分自身の「いい部分」を他人に語っても仕方がない。自分自身の「だめな部分」こそ語るに値する。ポジティブなことを語っても、ポジティブはポジティブとして完成されているので発展がない。が、ネガティブなことは自分自身の課題そのものなので、語るほどに発展が見込める。いい部分を語ることは自慢に終わることが多いが、だめな部分を出すことはさらなる未来へ向かっていると感じる。ポイントは、語るときに深刻にならないことだ。

変わらない部分が大切。

変わる部分は変わってしまうから、変わらない部分こそが大切なんだ。変わる部分は変わり続ければいい。でも、変わらない部分があるからこそ、変わり続けることができるんだ。自分は、変わらない部分の話がしたいのだ。

ビル・ゲイツには嫉妬しない。

「みっつは普通にモテてるよ」と友達に言われた。私は「まったく自覚していないです」と言った。「ふざけるな、このやろう」と言われた(嬉しかった)。友人曰く、超モテてる人には嫉妬しないが、普通にモテてると羨ましくなると。だって、ビル・ゲイツには嫉妬しないでしょと。ああ、本当にその通りだ!

愛とは。

自分と相手、面と向かい合っていても何も変わらないが、たとえ怖くても、自分が前に一歩踏み出すと、相手も自然と前に進み始める。サン=テグジュペリも言っていたが、「愛は、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」ということだと思う。

祈りを捧げたくなる。

猛烈に人の幸せを願いたくなることがある。猛烈に世界の平和を祈りたくなることがある。祈るという行為は、自分を救うという行為と同じなのかもしれない。

感謝=幸福である。

感謝をしているときは幸せだ。感謝をしてもらっているときよりも、感謝をしているときのほうがずっと幸せだ。それに気付いたとき、自分は感謝をされたいのではなくて、感謝をしたくてたまらないのだと思った。

何もしなくても生きていていい。

不安なとき、何もしなくてもいい、ただ生きているだけでいい、とそう強く思えるか。安心感とは、ただそこにいてもいいということを自分に認められているかどうかだ。そして、「何もしなくても生きていていい」ということを誰かに肯定されることも必要だと思う。逆説的だけど、人からそう認められて初めて、自分の人生を歩めるようになる気がする。

まずは自分を疑え。

他人に「こうしてほしい」、「こうあってほしい」というのはあくまで自分自身の願いにすぎないということ。他人に対して、こうしてほしい、こうあってほしいと思うときは『まずは自分を疑え』と思う。「自分自身はどうなんだ?」と。他人に「ちゃんとしてほしい」と思ってしまうとき、「自分自身はちゃんとしているのか?」と。他人を疑う前に、自分自身を疑いたいと思う。