みっつ通信

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積極的ゆっくり。

「積極的ゆっくり」という言葉が言いたいがためにこの記事を書き始めた。何にも言いたいことがないけれど、「書く」ということはできるだけ継続していきたいので、「何でもいいから出そう!」と思った。ので、ゆったりとした気持ちで近況を報告しつつ、最近思っていることを書けたらいいなと思う。ちなみに積極的ゆっくりの意味については後述する。

イベント

さて、ちょうど一週間前、私は友達である中村氏とともにイベントを主催し、実際に行動に移すことに成功した。私は、今までイベントというものに参加することはそれなりにあった。でも、自分が主催するということは今まで一度もなかった。きっかけは、8月の上旬頃に菊名にある【SCRAMBLE HOUSE TOKYO】に行ったときに、家主である坂爪さんに「今年も70万時間をやる予定なのだけど、多分、近い内に☆P(保科亮太さんのことである)からネタふりがあると思うよ」という一言だった。
 
 
坂爪さんは内容を簡単に説明してくれた。それが「モバイル神社」というもので、賽銭箱を持って歩くことで自分自身が神社になるという企画だった。そして、モバイル神社をやるのに加えて、山手線も一周したら面白いんじゃないかという発想力豊かな提案もあり、たまたまその場に居合わせた私と中村さんはすぐに「やろう!」と決意した。
 
私は特別に優れた能力を持っている訳ではない。それでも、「歩く」ことならできる。自分は体が華奢で(最近は頑張って腕立て伏せをしている)、あんまり見た目的には体力があるほうに思われないかもしれないけれど、実は結構、体力に関しては自信がある。
 
しかも、一人でやる訳ではない。今回のイベントに関しては、中村さん(偽名)が「使徒役」として相方になってくれた。これは、私個人のイベントではなく、それを企画してくれた人(実は未だに誰が企画したのかは分かっていない)、そして「やってみる? もちろん拒否権はあるよ」と優しくすすめてくれた坂爪さん、そして、一緒にやろうとしてくれた中村さんの力あってのことである。
 
イベントを主催して実行する、ただそれだけのことが今の自分にとってはものすごいハードルのように思えた。でも、一人ではなく二人でやると決まっているから、気持ち的にはすごく楽だった。実際、中村さんとイベントのために準備をした期間はとても楽しかった。自分は学校に行ったことがないので、想像でしかないけれど、多分、「文化祭」の準備ってこんな感じなんだろうなと思った。
 
中村さんの作った賽銭箱とミニ鳥居のクオリティは即席にもかかわらず、高クオリティであった。個人的に一番燃えたのは、イベントページに載せるための文章だった。「モバイル神社」と「山手線を徒歩で一周する」こと以外に特に決まりはなかったので、70万時間にあった「西遊記」ならぬ「災遊記」のアイデアをパクリ(早い者勝ちだと思った)、いろいろ勢いでふざけて書いた。
 
小さな表現についても細かに中村さんとLINEでやりとりをしながら一生懸命に作った。そんなイベントページを拡散するときは少しドキドキしたけれど、反応も悪くなく、結果として青春の一ページに刻まれる日々になった。何より、自分たちが楽しかったのが一番だった。
 
イベント当日も、鉄砲玉の女神ことけいこさん、鉄砲玉のひろきさん、りゅうくんと自分たちも予想していなかったメンツが集まってくれた。道中、頭に賽銭箱をのせて歩いた御徒町の商店街や、上野公園は少々無理をした感があったけれど(暑くて何気に歩くのがしんどかった)。ちなみに上野公園辺りで見かけた20代くらいの女性が「働いたら負け」と大きく書かれたTシャツを着ていて、「超いいね!」と思った。
 
実は夜に中村さんと二人になった後、電車に乗って何駅かチートしたのはここだけの秘密だ。イベント前に「18時頃に恵比寿駅辺りにお二方がいらっしゃればお賽銭をしにいきます」とメールをいただいていたので、私と中村さんは17時過ぎには恵比寿駅前の吉野家にいた。カフェみたいな吉野家だった。
 
イベントをやること自体不慣れな我々は、牛丼をかっ喰らいながら、たくさんの反省点を口にしまくった。ここをもう少しこうしたかったねと、語り合った時間は良かった。その後、吉野家の前でメールをくれた男性と10分ほど話をし、私と中村さんは、恵比寿駅から品川駅まで(ちょっとショートカットをしながらも)色々と話をしながら歩いた。
 
印象的だったのは、中村さんが話をしすぎて「声が枯れた」と言っていたのが個人的にピークレベルで面白かった。また一緒に何かイベントをやりたいと思う。
 
【皆様、70万時間テレビお疲れ様でした】

近況と、最近思うこと。

という訳で、イベントのことが書けてよかった。「一日一恐怖」じゃないけれど、8月の間は一日に一回は「自分が恐れているけどやりたいこと」を実践してきたつもりだったので、イベントを終えた直後はちょっと無理がたたったのか、少々、「積極的ゆっくり」する時間が必要になった。
 
正直なところ、自分のブログ記事をFacebookやTwitterで拡散することも苦手だ。でも、書くなら読んでもらいたいと思うのも嘘ではないので、頑張って拡散をし続けた。自分を褒めたい。多分、そういう塵が積もったせいか、イベント終了後にはちょっとした「荒れ」がきていたので、ここ数日間は半ば強制的に休みを取った。
 
あんまりにも行動する機会がないと退屈で嫌気が差してくるけれど、逆に、頑張りすぎると「ずっと何かが気がかり」な状態が続いているようで自暴自棄になりそうになる。ので、ここ一週間ぐらいは「自意識を大切にするウィーク」に入っている。
 
自意識をぶっ壊すマンスからの自意識を大切にするウィークへ。自意識は雑に扱うと、のちのち面倒なことになる。自分でも何についてモヤモヤしているのかわからないまま、心が暴走しそうになる。ので、積極的に行動することも「やってる感」があっていいけれど、積極的に休むことも大切なんじゃないかと思う。
 
自分は好きで今の生活をしているんだなと思う。「やばー心やばー」ってなったときにきちんとゆっくりできる時間を取れるということは本当に贅沢だと思う。「しばらく休む」というと家で引きこもる感が出てしまい、少し、偏見を与える感がなきにしもあらず感があるけれど、別に疑心暗鬼になって部屋に閉じこもっている訳ではない。
 
積極的にゆっくりしている感じ。何日か前には卓球をしたりもした。あまりにも本気になりすぎて、卓球台に腕を思い切りこすりつけてしまって、全治3週間はかかりそうなほどの擦り傷ができてしまった。ずっと腕にガーゼを貼り続けている。と、それくらい積極的にゆっくりしている。
 
一昨日は、夜も遅い時間に周囲が田んぼだらけの夜道を歩いたり、真っ暗で前も見えないくらいの森の中を歩いて、夏の定番である「肝試し」を遂行することもできた。文章力がなくてうまく伝えられないけれど、終始、鳥肌が立ちまくるほど怖かった。多分、ビビリなんだと思う。
 
今、自分のスケジュールを見ている。カレンダーに今までの予定を書き込んでいるのだけれど、半月以上、自宅ではないどこかにいたり、自宅にいたとしてもブログを書いたり、イベントの準備をしたりで、ほぼ積極的にゆっくりしている時間がなかった8月だった。
 
「ゆっくりします」と宣言しないとゆっくりしてくれない自分がいた気がしたので、あえて「ゆっくりします」と言ってよかったと思う。幽霊にもビビるところがあるけれど、精神的にも根っからのビビリなので、「ゆっくりします」と言うと、どこからか「ゆっくりしてる場合じゃねえだろ!」と一喝されているような気になってしまう。
 
でも、どんなに小さなことでも「毎日ひとつ、自分が恐れていること」をやりたいと思った。ので、その時の自分にとっては「ゆっくりすること【休むこと】」が怖かったから、思い切って休もうと思った。そして、ゆっくりすることを決めたら、自分でも驚いたことに「自分の道は自分で決められるんだ」と当たり前のことに気付いた。
 
自分が行きたい道を自分で選択していいんだと。自分が怖がっているだけで、誰からも怒られはしなかった。人の目という名の自分の目に縛られていただけだった。自分が自分に「こうするべきだ」と言い続けていた。でも、恐れることをやろうと決めたことで、自分の思い込みに気付けた。
 
Twitterもそうだ。自分は何でもいいから呟いてみたいと思っているのに、心のどこかで「めっちゃいいこと言わなくちゃ」みたいな強迫観念がある。でも、何気ないツイートをしたところで、誰にも怒られない(フォロワーは減る)。それはそうだと思う。怒られるはずがない。自分で自分を怒っているだけだ。
 
こうするべき、は基本的に思い込みだと思う。自分は積極的にゆっくりしたいから、働かずに今の暮らしをしている。多分、ニートでもフリーターでも何でも、自分がそれをコンプレックスにしていなければ大丈夫だ。もっと、胸を張って生きてもいいんだと思う。
 
自分の生活がだめになったらなったでいい。その時はその時に考える。一人になってもいいし、死んでもいい。そんな覚悟があれば、まだ生きていける気がする。それに、何かをしなくちゃいけないという気持ちは、きっと将来の安泰のためであることが多いと思う。
 
自分は今まで将来の安泰のために生きたことがないので、もう将来の安泰のためには生きられないと思う。というより、将来の安泰のために生きたいとは思わないし、そもそもで将来のために生きるほどの能力がないし、何なら長生きしたいとも思っていない。
 
死ぬ時は死ぬ。そう思っている。だから、今を生きたいと思う。部屋でひとりYouTubeを観ることは自分にとって惰性ではない。YouTubeを観ることは、遊びであり仕事であり勉強だくらいには思っている。今この瞬間にコーヒーを飲むことも、ゲームをすることも、自分にとってはかけがえのない時間だ。決して無駄な時間だとは思わない。
 
今を生きる、とはそういうことなんじゃないかなと思う。どこにも無駄な時間なんてないと思う。やるべくしてやっている。だから、今は常に貴重で、価値がある。そんな自分の価値観は好きだ。
 
多分その内、積極的にゆっくりすることにも飽きて、また何か行動し始めると思う。その時はまたきっと頑張ると思う。けれど、疲れたら休めばいいんだと思う。ゆっくりして、たくさん寝て、回復すればまた生きたいと思えるはずだ。自分の命を疑うより信じていたい。