みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

矛盾をネタにして笑える日がきっとくる。

愛媛県を出発し、いま静岡市にある「おふろcafe bijinyu」でこれを書いています。久々のブログ更新です、と書こうと思ったらまだ前回の投稿から一週間も経っていないことに気付く。やっぱり行動を起こしていると時が経つのがとても遅く感じる。なぜだろう。感じることが多いからか、それとも時間を認識するからか。逆に家にいるときほど考えている時間は多いなと思った。

「一日一FEAR」を意識している日々ということで、Facebookに近況を投稿するというチャレンジを行なっている。自分的には「恥ずかしいけどやりたい」と思うことに果敢に挑むスタンスが結構最近のお気に入りなのですが、自分が「思っていること」だったり、「本音に近いそれ」をアウトプットしようとすることは思いのほか胸がざわつきかけます。SNSでの発信は、表面上はどうあれ「見てくれ!」という意識が多少なりとも働いているのかなと思うのですが、それに対して自分の心は「でも恥ずかしいから見ないで!」という矛盾もあります。人前に出てコミュニケーションを取りにいくことにも同じような感覚があって、「人前に出るくせに自分の殻に閉じこもりがち」という気質に自分でも「おれはなんなんだろう」という虚無感的な何かに一瞬襲われそうになります。

これも完全に読んでもらいたいからこそ書いているのに、「ああ俺は何を書いているのだろう」とか、またある日は「こんなことして何になるんだろう」とか、そんなようなことに飲み込まれそうになる。ブルース・リーの「Don’t think feel(考えるな、感じ取れ)」をモットーにするべき時は今なのかもしれない。昨日は、ほしなさんが「おれはなにをしているのだろう、と思うときはいい傾向だよね」とおっしゃっていまして、「本当にそうですね!!」と思いました。多分、人間は「矛盾を抱える生き物」なのかなと思うけれど、その矛盾を認識したとき、それこそが死ねている証拠なのかもしれない。思えば今までにも「なぜおれはいったいここに」と思うことは何度かあって、そういうときのことを後になって振り返ってみると、なんだかんだいっても良い日々だったなと思えることがある(主に精神的に食らっていたときのことを思い出しがち)。

食らいにいく、傷つきにいく、死ににいく。自分を変化させるために。動いていないと考え事ばかりしてしまって、結果的に「なんのために生きているのだろう」なんてことを考えてしまったりする。できれば自分の価値を疑うのではなく、自分の価値を見つけていきたいと思う。私は食らいやすい性質なので、一日の間に何かひとつでもブルーなことが起こるとヘタをすれば一週間以上引きずる。ただ、そんなこともネタにできる日がくることがある。だからこそ、選択で迷ったときは「ネタになるほう」を選ぶこと。そんな精神でいけたらいいのかなあなんて思う。

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