みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

たしかなこと。

愛媛から帰ってきた。お家の居心地のよさが半端ない。前から自分はどうしてこんな生活(お金はないけど時間はある悠々自適な)を送っているのだろうかとかちょっと考えたりなんかすることもあったけれど、理由はめっちゃ単純で「ここに全部あるからだ」と思った。自分の大好きなものを挙げてみよう。家族(のように親しい人)、インターネット、家。いまざっと思いつくかぎりだとこれくらいしか見当たらない。ほんとうに大好きなものなんて極々少数だと思うから、これだけあれば充分だと思う。
 
昨日は愛媛までつれていってくれた友人と横浜へ帰る途中に、車内で「自分のルーツ」的な話をしたんだけど、友人は「海」だと言っていた。ものすごく悩んでいるときも海に相談をする。それ以外にもたくさんの海にまつわるエトセトラを話してくれた。その話を聞いた私は、「自分にとってのルーツとはなんだろう」と思った。ルーツというと語弊があるかもしれない。「自分にとって超絶大切なもの」という感じかもしれない。それを考えたとき、真っ先に頭に浮かんだのが「インターネット」だった。
 
自分は11~12歳のころから今に至るまで約15年ぐらいインターネットと接しているので、攻殻機動隊的な例えでいうと、自分はもはや「電脳化」しているような感覚。自分とインターネットは切っても切り離せない関係にあると思う。というか、大多数のひとにとってネットは切り離せないものになっていると思う。電車に乗れば9割がスマホを触っているような光景。スマホがあるからこそミニマリズムが発達する。前までは「スーパーマップル」という地図の本があってそれを見て自分は父親が運転する車の助手席でナビゲートしていた。けれど、今はもうiPhoneがあればなんでもできる。貧しい地域に暮らすアフリカの人々だって何にも持ってなくてもスマホだけは持っている時代だ。
 
友人が「海に相談する」と言った。なら、私はインターネットに相談する。この事を別の人に話したら、「現実的だね」と言われて「たしかに」と思った。今はもうインターネットで相談することなんて当たり前になっている。自分にとってのイデオロギーみたいなものがあるとすれば、「インターネットの世界とつながっていること」なのかなと思う。多分、もうすでにネットがリアルを超えている。リアルなやりとりよりもネットから受ける影響のほうがすさまじく大きくなっているというか。
家族と家
ネット以外に大切なもの、それは家族や家だと思う。家はやっぱりほしい。この一週間は移動する日々を過ごしていたけれど、「自分一人になれる場所」が圧倒的に不足していた。どんなに好きなひとといたとしても、さすがにずっと同じ時間を一緒に過ごしていると相手がどうのこうの以前に「ひとりになれない」というストレスが大きくかかる。たとえば漫画喫茶に友達と泊まるにしても、結局は同じ空間に知っている人がいるわけだから、「完全に一人である」とは言えないと思う。いまこの文章を自宅で書いているけれど、外出先で書く文章と自宅で書く文章には大きな違いがあるように感じる。ひとりでカフェで書けば、多少人に読んでもらう文章。仲の良いひとと一緒に作業をすれば、結構パブリック。自宅でブログを書けばプライベート。いま書いているこの文章は完全に自分との対話に近い。
 
そういう意味では家は必須というか。自分にとってなくてはならないものであるように思う。移動し続けることも慣れてしまえば楽になるとは思うけれど、いまの自分にとっては移動はそれなりのストレスになる。ので、一般的だけど、外に出る、人に会う、家に帰る、というこのルーティンが好きだ。外にいる、人に会う、ホテル、みたいな「ずっとゆっくりしてはいられない」という感覚はストレスになる。結局のところお金を稼ぐというのもそういうことで、お金がなきゃゆっくりしてる時間が確保できないというのがキズだと思う。
 
そして、家族。いうまでもない。家族がいるから安心できるし落ち着ける。もっというなら家族がいるから、超絶大切にしたい人がいるから、もっと生きていたいと思える。愛するひとがいないなら、この世にはあまり価値を感じない。どんな時間を過ごすか。自分は家で休息をとりながら、会いたいときに会いたいと思える人に会い、また家に戻って好きなひとと一緒にすごす。この暮らしが継続できないとき、自分は死を選ぶ覚悟もできている。だから、今は何も怖いことはない。自分にとってそれが最大に重要だ。昨日は母親に生まれて初めて、「生んでくれてありがとう。あなたの子供に生まれてよかった」と言えた。素直な気持ちだ。俺に生まれてよかったと思う。