みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

あなたの前で出てくる私はすべて本物。

今日もひまなのでブログを書こう。今日書けることは今日しか書けないと思うので、せっかくだから、最近思ったことあれこれを書いてみよう。

この世は地獄である

ポジティブシンキングは「この世界は地獄である」と認識した上で初めて機能するのかなと思った。絶望の中でも生きていくということ。生きているからこそ感じられる、幸福や愛、友情。「地獄の中の光(極楽)」を見たいから、ひとはポジティブであろうとする。人生とは、極楽を求めてさまよう旅である。

俺は簡単に傷つかない

いよいよ切り替えが早くなってきたかなと思う。前まではちっちゃなことでダメージを負っていたけど、今は脳裏にネガティブなイメージが蔓延しそうになったら、サッ!と考えることをやめることができるようになってきた。生きやすい。というかそれが強さと呼べるものなのかもしれない。

暴力をふるわない人の安心感

暴力をふるう人は自分の身近にはいない。父親に散々殴られてきたので暴力をふるわれることの痛みは知っているつもりだ。だから、ただの「暴力」を「体罰」だと言い換えることができるひとの神経は疑っている。と、そんなことが言いたいんじゃなかった。そう「暴力をふるわない(精神的な暴力も含めて) 」というだけで凄まじく強いので、そういう強さを持っているひとと一緒にいる限りはその人に対して怖さを抱えることはない。結局は誰しも人間なので、誰かに対して「怖い」と思う感覚は自分にとってあまり必要のないもののように思う。

あなたの前で出てくる私はすべて本物

自分を出すとはどういうことだろうか。多分、その人の前にいるときの自分に忠実になれるかだと思っている。この人の前だとこんな自分が出る、それはおしゃべりな自分だったり、時には寡黙な自分であることもある。それを否定しないことだと思う。その人の前にいるとき、なんでもかんでも話してしまうのであれば、その自分を受け入れる。その人の前では超沈黙してしまうなら、超沈黙する。それでいい。「自分を出す」とは、おしゃべりに振る舞うとか、本音を常にぶちまけるとかそういうことではないと思っている。あなたの前で出てくる私はすべて私なのであって、この自分は「自分ではない誰か」だと思った瞬間に自分でなくなるのだと思う。

みっともないな

傷つくということは、相手のせいにしていることでもあると思う。みっともないと思う。誰かのせいにして楽になれるはずがない。誰のせいでもない、自分のせいでもない。すべての人が、その人なりに生きている。誰かに対して期待をして、それが裏切られたと勝手に思うとき、自分のことをみっともないなと思う。

ネガティブな言葉を否定しない

「疲れたな~」とかそういう言葉を安易に否定しないことは実は結構大切なことなんじゃないかと思う。疲れることは当たり前、お昼に34℃あれば暑いのは当たり前、疲れたときは疲れた、暑いときは暑い、別に我慢は美徳でもないので何を言ってもいい。

日常は旅行、非日常はワーク。

自分にとって家にいるときは常に旅行をしているようなものなので、旅行にいくことは旅行にいくことではない。異国にいくこと、知らない場所にいくこと、それらは非日常であり、常にワーク。今が常に旅行で、世間的にいうところの旅行はワークである。

自分の道を歩いていれば楽である

バンドが解散するときよく「方向性の違い」という言葉を耳にする気がする。それ、バンドの解散じゃなくてもすべての人付き合いにいえる。本当に仲が良くなる人とは生き方の方向性が合う。生きるフィールドが違うひとのことが大好きだとしても、それはそれとして、同じ道を歩めるのかといったらそうでない場合もある。自分の道、自分の生き方と同じように生きているひととは多分長く一緒に歩いていけると思う。

別れるのが寂しい人が好き

さよならするとき、ああ寂しい、離れたくない、もっと一緒にいたいと思えるひとのことが好き。

愛されたがるな

たまに誰に対しても「大好き」という言葉を使う人がいて、不思議な気持ちになることがある。私個人としては何千に一人レベルでしか大好きなんて思える人がいないので、あって間もないよくも知らないであろうひとのことを大好きとか言えるひとのことを見ていると不思議な気持ちになる。愛されたいだけなんじゃないかと思ってしまう。愛されたがらない人のほうが愛される気がするのは気のせいか。

好きな人との時間を選ぶ

生きていくには好きでもないひとと付き合っていかなければならないとかそんなことはないと思う。好きなひとと一緒にいられれば今世はゴールでしょ、と思う。その点、社会的な成功はお金をたんまり稼ぐとか、名声を得るとかそういうことを勝ち組というと思うんだけど、自分にとっては好きな人と一緒にいられたりすることのほうが五億倍大事なので、自分のルールでいえばとっくに私は勝ち組である。