みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

「移動」を「旅行」に:生きることを楽しくするには、自分に酔える人間になるしかない。

今日は自分の気持ちを書こう。自分の本心をごまかし続けていると、何が楽しくて生きているのかわからなくなる気がする。いかに正直になれるか。生きていると心が動きまくってしょうがない時があって、どうしようもなく「うわああ!」と暴走しそうになることがある。つい先日まで一週間ほど移動を繰り返していた。自分は基本、家でゆっくりしていることが大好きなので、移動を続けることには慣れていない。多分、一般的な加減でいったら、自分の「人生での総移動距離」なんてたかが知れていると思う。
 
だからこそ、物理的に体を移動させるとはどういうことかを知りたくなる(今まで経験していないことこそ経験したくなる)。今回は愛媛に行ってきたのだけど、なんとなく分かったことがある。多分、自分は「移動すること」にはあまり興味がない。なぜかというと、「諸々を疎か」にしているからだ。これは自分の反省になる。今回の移動で、今までの移動は「移動をしていただけだったな」ということに気付いた。
 
移動とはつまりそういうものです、といわれてしまったらおしまいになるけれど、自分はどうせなら「旅行」がしたいと思う(こういうことを書くのは何気に恥ずかしい)。もっと頑張って説明したい。たとえば、関東から四国まで車で移動をする。高速を走る限り、パーキングエリア(サービスエリア)に立ち寄って休憩をする。ここが問題だ。「とりあえず腹へったし飯でも食おう」、これじゃだめなんだ! 「とりあえずトイレ休憩」、これじゃだめなんだ! ほんとうは「車で移動してきた、そしていま俺はパーキングエリアにいる、夜の風が気持ちいいぜ、缶コーヒーでも飲むか...」、これ!!! 自分に酔いたいのだ。「あ、おれいまこんなとこにいるんだー、いやー、きちまったなー、ふっ、なにしているんだろうなおれ、ああ」、これ!!!
 
まったく上手く説明できていない気もするが、この「いちいち自分に酔う」この感じが移動のそれをたまらなく旅行のそれに変えてくれる。もっと具体的に説明したい。それでは、どうしたら「移動」をもっと「旅行的」な雰囲気に変えられるだろうか。

自分を楽しませる技術。

最近は「インスタ映え(フォトジェニック )」という言葉をよく耳にする。多分、「わたしいまハワイにいまーす!」みたいなキャプションそえてインスタ映えする写真をアップすれば受けがいいと思う。「わー!ハワイにいるんだーいいなー」みたいなコメントがくると思う。愛媛へ行く移動中、淡路島のサービスエリアでSTARBUCKSのフラペチーノの写真をいろんな角度から撮っている女子たちがいた。99.9%、Instagramにあげると思う。それ!!! その無意味さ! その「自分たちは自分たちの方法で楽しんでまーす」なそれ! まちがいなく自分を楽しませる方法を知っている。
 
この前、こんな話を聞いた。知り合いの妹さんはInstagramにアップするために出かけると。行きたいところに行って、それからついでに写真を撮ってInstagramにあげるのではない。「Instagramにあげるため」にインスタ映えする場所に出かけるのだ。多分、これが最先端な楽しみ方なんだろう。
 
「自分を楽しませる」、これは相当な技術力が必要な気もする。ここから自分の話になるけれど、どうしても自分は「旅行」に興味が持てない。行きたいところなんてない。たとえば、冬。ただ家にいて、音楽や映画やサブカルにふれながら、あたたかい緑茶をすする。それだけで天国にいるような気持ちになれる。今まで自分が「もう少しこの人生を生きていたいな」と思わせてくれていたものは、まちがいなく自分の大好きなもののおかげだ。一週間後にまたこのアニメの放送の続きが観れる、もう少しでこのゲームの新作が出る、それだけを頼りに生きてきた。いや、生かされてきた。
 
家にいればそれで十分。多分、それも自分を楽しませる技術だ。ただ、たまに一週間くらいの旅的なことをするために移動を続けるときがある。それが、苦行になってしまう自分がいるのも嘘ではない。出発前は「楽しんできてね」と言われ、自分も「楽しんでくるね」と言う。楽しめるわけがない。電車で20時間移動しますってなったら誰も楽しめないと思う。目的地があるからまだ救われるけど(誰々に会いにいくとか)、逆に目的があることによって「道中」が疎かになることがある。

想像力豊かに、自分に酔おう。

移動が手段になってしまうとき、移動ひいてはその旅全体がつまらないものになる。それならば、移動それ自体を目的化させることでしか楽しむ方法はない。もっと、自分に酔おう。パーキングエリアで「2時間休憩しよう」、さて何をするかな。俺は今ここでゆっくりして、腹がへったら美味いものでも食べて。そして、満足したら今度はまた別のところへ行こう。今度、北海道に行くとしたら、やっぱり海鮮丼が食べたいな。自然の中を好きな音楽を聴きながら走り抜けたいな。なんでもいい、いま自分のしている行為そのものによって、もっと自分に酔えること、それが大切なんだと思う。
 
映画、音楽、アニメ、ゲーム。オタク文化的なものに強く自分が惹かれるのは「好きな世界へ行けるから」だ。現実を生きているだけでは味わえない、想像の刺激。現実がイヤでたまらなくなるときは、大抵、現実しか見えなくなってしまっているときだ。自分に酔う感覚は、想像力を使っている。自分の好きな世界の中に自分がいる感覚。どこに行くにしてもロマンはいっぱいある。普段行かない場所へ行ったときに、「こんなところへきちゃったぜ」と自分に酔えるか。夜空の星々を見上げて、白い息を吐く。好きな人に思いを馳せる。恋い焦がれる自分に恋い焦がれる。新海誠の作品が流行るのはそういうことだ。
 
ご飯を食べること、景色を見ること、人に会うこと。ひとつひとつを目的にして移動ができたら、それはもはや移動ではなく、すべてが楽しい旅行になる。一人旅や、好きな人とゆく旅行が楽しいのは、この瞬間にしかない今を味わい尽くそうとしているからだと思う。今を味わい尽くすには、想像力が必要だ。生きていることを苦行にしないためには、生きること自体をアートにする。自分の人生の主人公は自分で、自分の人生は物語だ。自分を生き続けよう。
 
 
人生は聖地巡礼。