みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

往々にして恋心。

感じの良い人間になりたいみっつです。誰に対しても穏やかに接することができたら、どれだけいいだろうなと思う。最近は思うことにあふれているので、今日もいろいろまとめてみたいと思います。

あなたを見ています

ひとって見られたい性質があるんじゃないかなと思う。視聴率がとれればとりあえずそれで大丈夫。自殺願望があったとしても、ひとから見られているという感覚によって意識が外に向く。意識が外に向けさえすれば大丈夫。内に閉じこもりすぎると鬱的な方向へ流れるので、たまには自分を人の目にふれる場所に置くというのは生きていくためには効果的なんじゃないかと思う。

嫌われているのではない、嫌っているのだ。

誰かに嫌われているかもしれないという感覚は、シンプルに相手を嫌いになりそうになっているだけなんじゃないかと思う。嫌われることのデメリットがあるとすれば、相手を嫌いになることでその負の感情に支配されてしまうことではないかと思う。嫌われることが怖いというのは、つまり、自分の可能性を自分でなくすことへの恐怖とでも言ったらよいだろうか。嫌われても大丈夫。この世界のたった一人に嫌われることは自分の可能性を減らすどころかむしろ増やすきっかけになるだろう。

幸せなときもあれば不幸なときもある

幸せであり続けなければいけないとか、不幸であり続けてはならないとか、そんなことはないと思う。生きていればいろんな気持ちになる。いま辛かったり、いま幸せすぎて怖くても、いずれその気持ちは流れていく。だから、流れていく感情にしがみつこうとしなければよい。そうすればきっと感情を殺さずに済む。

何にもしなくても生きていていいんだよ

「〇〇をしているから生きていてもいい」が成立するなら、〇〇をしていないひとは死ぬことになる。何にもしなくても生きていてもいいという安心感があるからこそ、まだ生きていたいと思えるのではなかろうか。生きていること自体が社会貢献だと思う。

何を好きになるか

実は「何を好きになるか」はとっても重要なんじゃないかと思っていて、たとえば自然が好きであれば生きている間に自然が消えることはないと思う。しかし、ある人が好きでその人がいなければ生きていけないみたいな状況に陥ったとき、まさにその人を失ってしまったら生きていけないことになる。永久不滅的な何かを好きになることは自分の一生を平気なものにさせてくれるのかもしれない。

往々にして恋心

ひとを突き動かすものは往々にして恋心なんじゃないかと思う。

○○はしちゃだめ、ではなく、○○であれ。

「喧嘩はしちゃだめ」というよりは「平和であれ」と言ったほうがはるかに効果的だと思う。ひとは不安なことを意識する限りその対象を近付ける。喧嘩はしちゃだめと思ったところで喧嘩のイメージが脳を支配する。どうせなら、平和であろうと思ったほうがずっといい。平和が近付く。