みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

なりたい自分になれ。

最近思うことがあふれすぎて、これはちょっとまとめないとやばいと思った。ので、いろいろと書き綴ろう。

1・今の全力を出し切れ。

「うつというと本当にうつ病のひとに失礼だ、だから俺は『ちょっとうつ』かな」なんて弟が言うから、「俺も慢性的なうつで自分の中では有名です」と何気なしに言って笑い合う。「こうやって笑い合えるんだから、十分、幸せだと思うけどね」と言うと、「ポジティブすぎるだろ」と言われ、「ああ、俺はポジティブおばけだな」と言ってまた笑い合う。
 
思えば、昔と比べるとずいぶん前向きになってきたなあと思う。余計なことを考えそうになったときは「あ、これ考えちゃいかんやつだ」とスッと考えることをやめられるようになってきたし、真剣に死にたいと思うこともなくなった。多分、後ろ向きになってしまうときは「物事を全力でやれていないとき」なのではないだろうか。
 
例えば文章を書くときも「これでいっか」と思いながら書いた文章と、「今の自分をすべてぶつけてやる」と思って書いた文章では、後で読み返したときに伝わってくる覇気がまるで違う。中途半端な気持ちでやったことは後悔することが多いけれど、全力でやったことに関してなら、「あの時は出し切ったから」という理由一つですぐに切り替えられる。何事も全力でやるということを全うし続けている人には潔さが宿るし、何より全力でやることは誠意の表れだ。

2・常に自分を鼓舞する。

人は放っておくと否定的な感情に流されていってしまうと聞いた。だから、常に肯定的な思考を心掛けよと。思い当たる節しかない。ただでさえ否定的な感情に流されるのなら、もう自分のことを責める必要は一切ないんだと思う。イライラしてしまった自分を責めたり、自分の身を守るためのエクスキューズを用意したりするより、今後は同じ轍を踏まぬように常に自分自身を鼓舞していきながら失敗を乗り越えていくことのほうが大切なんだと思う。

3・だめな自分を肯定するということは、だめな自分から脱却するための手段である。

だめな自分を肯定するということは、だめな自分のまま生きていくということではなく、だめな自分を肯定することで、だめな自分を脱却していくということである。人が悪い習慣から抜け出せないのは、それを認めることを拒んでいるからだという。自分のだめだと思う部分をだめだと認めるには勇気がいる。ただ、前へ進むためには、まずは今の状態を勇気を出して認めちゃうことだと思う。自分のことを弱いと言える人は強い。

4・自分の価値を認めてくれる人は、自分にとって価値のある人だ。

自分のことを評価しない人にあげる時間は残っていない。自分にとって大切なのは自分の価値を認めてくれる人だ。そして、それと同じくらい大切なのは自分自身は誰に価値を感じるのかを明確にすること。認められたいと思うことはよくあれど、果たして自分自身は人の価値を認めることはできているのだろうか。この人は良いと思った人に対する敬意を忘れてはいないだろうか。私にとって価値のある人は希少だ。自分の好きな人の価値を認められるような人間でありたいと思う。他人の本当の価値を見抜くことが、自分自身も認められるきっかけになるのだろう。

5・「生きる」と決めているからこそ生きている。

とある作品で「生かされてるんじゃない。生きてるんだよ、俺達は。」という台詞を聞いて、なんかこう、胸に迫るものがあった。多分、生かされているということは他者次第では死んでしまうということでもある。もちろんそれを否定したい訳でも、自分は自分一人の力で生きているんだと言いたい訳でもなく、ただ、”生きてるんだよ”という言葉の奥底には「生きると決めてるからこそ生きてるんだよ」という自身に対する信頼感みたいなものが感じられて、その意志が心に響いたんだと思う。

6・同じ気持ちになってくれてありがとう。

自分に嬉しいことがあったとき、それを自分のことのように喜んでくれる人がいる。自分に悲しいことがあったときは、それを自分のことのように悲しんでくれる。同じ気持ちになってくれてありがとうと思う。この人といま同じ景色を見ていると感じられる瞬間は多幸感を覚える。足りないものはないと思える。あなたに出会えてよかったと思う。嬉しいできごと以上にあなたと同じ気持ちになって今を生きているんだと思えることが何よりもの幸せだ。

7・幸は一体感、不幸は分断感。

自分は人と同じようにできないからと自分を卑下してしまうことがある。そんな時に「もしかしたら、みんなも自分と同じ悩みを抱えているのかもしれない」と思った。その瞬間、自分の中に「もっと生きていてもいいのかもしれない」という安心感にも似た感情が芽生えた。不幸せな気持ちは自分と他人は「分断」されているという感覚からくる気がする。自分は人と違うからと孤独を感じたりもするけれど、孤独を感じて生きている人は自分だけじゃないはずだ。幸せな気持ちには「一体感」があって、この悩みを抱えている人は他にも沢山いるのかもしれないと思えた時にはもう自分は一人ではなくなっている。同じ空の下、同じ人間に生まれた私たちはきっとどこかでつながっている。

8・自分が生きていることで誰を不幸にしているというのか。

今まで生きてきて、これはやってはいけないなと思ったことに「自分を責める」という行為がある。自分を責めることは他人を責めることと同じだ。ただ、そうは思っていても自分を責めてしまいそうになる時がある。この前、「自分なんて」と自らの心を傷つけてしまいそうになった瞬間にふとこのような問いが脳裏に浮かんだ。「自分が生きていることで誰を不幸にしているのか」。自分が生きていることで誰に迷惑をかけているのだろうか。親だろうか。親に迷惑をかけているのだろうか。それなら親に迷惑をかけないために、親を楽させるために、自分という存在がこの世から消えたら親はどう思うだろうか。想像をする。親の悲しむ顔が目に見えて泣けてくる。自分が死んだら、親は悲しんでくれるだろう。それじゃ自分がこの世からいなくなったら、誰が幸せになる?いったい誰が楽になる?自分が生きているということで誰かが不幸になっているとは思わない。むしろ「生きろ」と言われている。幸と不幸は表裏一体だ。自分の存在が誰かの不幸を招いているかもしれないという寂しさに溺れそうになったとき、きっと、その不幸は裏側に幸せを隠し持っている。気付くんだ、自分の命は必ず誰かを幸せにしていると。思い出すんだ、不幸と感じられたときこそ幸せが目の前に転がっているということを。

9・終わりがあるから今が輝く。

すべてには終わりがくる。好きな人との時間もいずれ終わりがくる。寂しい。寂しいけれど、終わりがあるから今が輝くんだと思う。明けない夜はないという。止まない雨はないという。すべては廻っている。大好きな人との今もいつか終わりがくることを無意識のうちに知っているから、楽しもう、大切にしようと思える。最後の別れがやってきたときは悲しいだろう。でも、愛しかった瞬間の連続が最後の悲しみをつくるんだ。そう思えたら、終わりも悲しみも決して不幸なことなんかではないと、悲しみは愛してきた証なのだと、きっとそう実感することができる。

10・なりたい自分になれ。

今これを書いている瞬間に誕生日を迎えた。27歳になった。よくぞここまで生きてこられたなと思う。10年前の自分は今の自分の姿をどう思ってくれるだろうか。こんな大人になっていると予期してはいただろうか。過去の自分に言えることは一つだけある。死ななかったよ。まだ生きてるぞ。昔の自分からしたら、今の私は「なっててほしかった姿」ではないかもしれない。もっとかっこよくお金持ちになって社会的に成功して、とそんな風に夢を見ていたかもしれない。今となっては昔の自分が何を考え、何を思って日々を過ごしていたのかはほとんど思い出せない。ただ、いまの自分は「なりたい自分になろう」としているよ。理想の自分とは何かと考えたとき、すぐに「穏やかであり続けること」とか「人にやさしくあること」とか他にもいっぱい浮かんだ。そんな「理想の自分の姿」に今なりきって日々を過ごそうとしているよ。穏やかに人を責めることなく自分を生きようと心掛けているよ。今この瞬間にも「理想の自分で振る舞い続けよう」と努めているよ。いつかまたこうして過去の自分に思いを馳せるとき、今日の日を思って「あの頃はなりたい自分になれていたな」なんて後悔するような男になっていないことを祈る。いつまでもなりたい自分であれ。