みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

自分の感受性くらい自分で守れ。

近頃はどれだけ丁寧に心をこめて日々を過ごせるかに興味を持っています。自意識がいつも邪魔をして、すぐにふてくされてしまいがちな私なのですが、自分だけが気にしているようなことでくよくよ悩んでいても仕方がないと、ちっちゃなことに気を煩わせるくらいなら、日々をより丁寧に過ごすことを心がけようとそんな風に思っています。
 
もしかしたら自分は性格が悪いんじゃないかとか、「おれまじで二面性あるのかな」とかそう思っちゃったりもしますが、卑屈になっていても何も前進しない。ので、できうる限り、自分を鼓舞させていこう。という訳で今日は(も)最近思うことあれこれを書こうかなと思っているのですが、その前に最近、茨木のり子さんという方の「自分の感受性くらい」という詩に激しく感銘を受けたので、唐突にその詩を引用させていただきたいと思います。
 
 
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
 
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
 
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
 
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
 
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
 
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
 
 
茨木のり子・感動の詩
 
個人的には「一人は賑やか」という詩もたまらなかったので、ぜひ上のリンクから読んでみてください。
 
街並も秋めいて、急に夜も冷えるようになってきました。奇跡的にこれを読んでくれているみなさまは心の肌寒さをどのようにして暖めてあげているのでしょうか。私は、こうして常日頃から思うことをブログ記事にまとめたりすることで孤独に逃亡しがちな心を、必死に社会的なサムシングとコミットさせようとしているのですが、この私の気持ちが伝わるでしょうか。私には見えない、あなたさまの目により、私はなんとか生きながらえております。いつもありがとうございます。
 
という訳でどういう訳か、長い前振りを終えたので、最近思うことあれこれを書こう。憂いに負けないように。

自分を守るために言葉を紡ぐ。

誰にもわかってもらえなくても構わないじゃないか。誰にも共感されなくても、誰にも理解されなくても、それでいいじゃないか。誰にもわかってもらえない部分こそが自分を自分たらしめているんだ。もっと、胸を張って生きよう。もっと、誇りを持って生きよう。自分が自分であり続けるために。とまで書いたところで、本当は自分はわかってもらいたいくて仕方がないのだろうなと思った。
 
きっと、私は自分の弱い部分を守ろうとするために言葉を紡いでいる。何かをした時も、何もしていない時も、ことあるごとに自分を非難してしまう癖がある。自分は本当に正しいのか、いや、正しいとか間違ってるなんてどうでもいいじゃないか、でも、やっぱり自分はおかしいのかもしれない、ああ、自分のことをおかしいなんて思ったらおかしくならないほうがおかしいんだ、きっと。ああ思い煩いよ。どこまでもループする。
 
自分を擁護するというと言い訳がましく聞こえるかもしれないけれど、自分を非難することぐらい許してほしいのだ。自分を非難することを私から取り上げてしまったら、きっと、私は言葉を失い、タイタニックのように沈む。だから、許してほしい。誰にでもなく、自分から赦されたい。「気にすんなよ」と。

自分が自分のままでいたから。

自分が自分のままでいなかったら、出会えなかったひと・もの・ことがある。きっと、過去の選択の積み重ねが今を作っている。思えば、自分という唯一無二の個体、そして、過去の自分が積み重ねてきた人生の総体が、あれやこれやそれやを色付けている。
 
過去を、今を、否定してはいけないと思う。今までの自分が望んてきたことで形作られた、今の自分を愛したいと思う。自分を愛するということは、他人を愛するということと直結すると思うから。どこまでも自分を愛したい。

相手に許容されることを待つな。自分から受け止めにいけ。

他人に認められて(許されて)、初めて自分の価値を信じられる瞬間はあるのかもしれない。が、他人に認められてからスタートを切ることができるような自分でありたいとは思わない。たとえ誰に認められなくても、俺は俺のままでいく。そのつもりで生きてきた。
 
今までは自分の感じ方によって、勝手に傷ついてきた。が、今はもうそれをやめる頃合いだと思う。もう他人の態度や言動によって、自動的に被害者になることはしない。俺は俺の思ったことを素直に言う。やりたいように動く。運命の波が「おまえは甘ったれだ」と私を飲み込んだとしても、それでも自分の価値を疑うことはしない。
 
相手に許容されることを待たず、自分から受け止めにいく。「それが生きるってことだろ」と愛のバグダンを投下し続ける。

自分を取り戻せ。

他人が離れていってしまうのではないかという恐怖は、自分が離れていってしまう恐怖と同じだ。しかし、恐怖は恐怖だ。我々は現実よりも想像の中でより苦しんでいる。自分の根っこを他人に全て預けてしまわない限りは、たとえ他人が離れていっても、自分は自分のままでいられる。自分を取り戻すということは、他人に預けた自分の根っこを取り戻すということだ。

自分は他人にとったら他人だった。

自分という人間は他人にとったら他人であるということを意識すると我が飛ぶ。自分と他人のボーダーラインはない。他者と融合せよ。

自分の感受性くらい自分で守れ。

社会性を重視するあまり、自分を得体の知れないものに明け渡すことはしない。自分の大切なものを、これからも大切だと思い続けるために、自分という存在に全体性を見出す。自分がいなくなれば、世界はなくなる。ゾンビになるくらいなら、一人賑やかに死を待つよ。