みっつ通信

三森正道という人間が好きなことを好きなように書いているブログ

家にいて疲れたら、散歩へいこう。

読書の秋にちなんで、自分には珍しく、本を読んでいる今日この頃です。それと、子供のころは自分のお小遣いと呼べるものもわずかにさえなかったので、自分の中では最高にインドア派で有名な私でも、インドア趣味最たる『漫画』には手出しできていなかったのですが、最近になって色々と読み始めました。何を読んでいるのかを書くのは少し恥ずかしさがあって、ここに作品名まで書けないのですが、とある漫画の中でぽろっと放たれた「死にたいほど悲しい時は他人に小さな贈り物をすることだ」という台詞が最近印象に残りました。「あ、いいな」と思える言葉に出会えると嬉しくなります。
 
別の本では、節々に有名な作品の一節が紹介されていて、その中には詩もありました。このごろ私は詩に興味があるらしく、最近の記事でたびたび引用してきました。つい先日、茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』という詩に感銘を受けたことを記事に書いたのですが、ちょうどその本を読んでいると、偶然にも茨木のり子さんの詩が載せてあって少しびっくりしました。『汲む』という作品です。これまた感嘆の息を漏らしてしまうほどでした。例によって引用したいと思います。
 
 
大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
 
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
 
私はどきんとし
そして深く悟りました
 
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

家にいて疲れたら、散歩へいこう。

家の中に長くいると、心の中に、今にも雨が降り出しそうな分厚い雲がさしかかってくる。停滞感のような、ため息がもれてしまうような心境。そんな時は気分転換に身体を動かしてみる。そこら辺を歩きにちょっと外に出てみるだけでも、さっきまでのどんよりとした気持ちが一瞬にして晴れやかになることがある。
 
昨日、夜な夜な散歩をしていた。近所でも、まだ通ったことのない道。さっきまでこの地上でもっとも安心できる家にいて、まだそこから10分も歩いていないのに、見知らぬ住宅街。こんな景色はどこでもあると思った。でも、知らない民家が立ち並んでいる。この場所が自宅からまださほど離れていないというだけで、気晴らしという名の散歩ができる。空を見上げると、薄く広い雲が勢いよく流れていく。その雲の奥に少し欠けた月も見えた。おまけのようにいくつかの星も映えている。
 
一時間ほど歩いたら、だいぶ気持ちがすっきりした。「もしかしたら、家にいると疲れることもあるのかもしれない」と思った。「家にいるとリラックスして当たり前」ではない。家にいるからこそ疲れることもあるのかもしれないと、そういう風に思った。疲れたから休むのではなくて、疲れたから動く、という考え方もありかもしれない。散歩が特別に好きなわけではないけれど、これからは家にいて疲れたら散歩へいこうと思った。