みっつ通信

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生きても死んでもいい。

私は、15歳まで父親と母親と弟とともに四人で暮らしていた。父親の教育方針で「学校には行くな」と言われていた。子供のころの私はピュアだった。親の言うことなら何でも信じる。「学校に行ってもロクなことはないんだよ」と言われ続ければ、たとえ自分の目で学校という場所を見なくとも、学校なぞ「くそくらえ」と思うくらいには父親の影響を受けた。「義務教育だから学校には行かせないといけない」という福祉の人や学校の人が家にきても、父親にひとたび「おーい!お前ら学校には生きたくないよな!?」と呼ばれれば、私たち兄弟は反射するように「行きたくない!!」と言っていたものだった。いや、言わされていた。いま思えば、洗脳されていたようなものだなと思う。
 
私が12~13歳ぐらいの頃までは静岡県に住んでいたのだけど、父親が逮捕されたことをきっかけに千葉県に引っ越した。それまでは生活保護で暮らしていたが、父親の暴挙により、千葉県に住んだ二年半くらいは生保は支給されないこととなった。
 
思い出はいつの日も雨:過去の話。
 
捕まる前までは他人とのトラブルをよく起こすことはあっても、家族に暴力を振るうということはあまりなかった父親(精神面に対する"暴力"は元々激しかったけれど)。しかし、拘置所から戻ってきた父親は人が変わっていた。形容しがたい。頭がおかしくなっていたというしかない。そこから家族に対する暴力というか虐待的なものが続き、15歳のころにいよいよ私も華奢だったとはいえ身体はそれなりに大きくなってきていたので、「これはまずい、殺すことも可能だ」という気持ちが芽生え始めていた。
 
 
ある日、とうとう限界を迎えた私は警察に連絡をした。母親と弟とともに父親を家に残してサンダルだけを身につけて逃げた。そこから、私と弟はわかりやすくいうと引きこもりになった(しかし引きこもりという言葉で自分たちをくくることしかできない自分の語彙には貧しさを感じる)。いろいろな葛藤はあったけれど、とにかく私は24歳になるまで基本的に母親と弟と三人で暮らしていた。基本的に、というのも私が18~19歳のときに母親はいい人ができたのであまり家に帰ってこなくなったという事情があり、結果として20代前半はほぼほぼ弟と二人暮らしという感じだった。それは27歳になった今も続いている。弟とは喧嘩を死ぬほどしたけど、今は仲がいいと言ってもいいと思う。母親とも友達のような関係になっている。
 
引きこもり期間は長かった。今でも引きこもりといえば引きこもりだといえる。いっても家事は全部自分たちでやるし、もちろん買い物に出かけることもする。別の言い方で表現するならインドア派なのだ。お金がなかったのでインドア派にならざるを得ないという背景もあったけれど。つまるところ、私と弟は普通では考えられないくらい一緒にいる。今日はこのことが言いたかった。つかず離れず、生まれてから今に至るまで、ずっと同じ時間を共に過ごしている。よくぞこれほどまでに一緒にいられるなとは思う。一緒にいることで発生する問題は向き合えば何とかなってきたということだろう。
 
私は24歳のある日に素晴らしい縁があって、その縁を機に、多くの人と出会うことになった。それ以前は人と話すことなんて家族以外だとゼロに等しかった。この年、自宅にいる時間はめっきり減ることになる。慣れない人付き合いに私の精神が乱れに乱れていたときも弟は話を聞いてくれた。そのおかげで他人に八つ当たりすることもかなり避けられたと思う。しかし、弟にとっては私が行動をしていることに対し引け目を感じていたという。最近、弟とそういう話をした。私が外へ出ている間は寂しさにやられていたという。
 
 
「自分は何もしていないのに兄はしている」、「兄は金をもらっているのに自分は」と、自分と私を比べていたのだという。「自分を許す」ようになって、気持ちが楽になったと言っていた。
 
当時のことで覚えていることがある。弟はずっとロン毛だった。今までは短くしたことなんて一度もなかった。しかし、一週間ぐらい家を空けたある日、私が自宅に帰ると、驚くことに弟が髪をバッサリ切っていた。しかも自分の手で。背中に余裕でかかるくらいの髪が、たしかミディアムぐらいにはなっていたと思う。自分の手で切ったから、お世辞にも上手とはいえず、ぐしゃぐしゃな感じだった。さらには弟は髪を切ったことを猛烈に後悔していたので、表情と髪型を見るに、ボロボロな状態だったとしか形容できない。多分、弟は真面目に死にたくなっていたと思う。
 
引きこもっている間から、いつか弟が自殺してしまうんじゃないかという恐怖はあったけれど、この時期は一週間くらいの旅を終えて家に帰るときはより怖かった。自分の日々に忙しかった私は、自分のことだけで精一杯で、自分のことだけしか考えていなかった。自分が死なないことで精一杯の日々を送っていたから、家を離れている間、弟にメールを送ることもしなかった。後に弟が「あの時期は孤独でしょうがなかったよ、今は大丈夫だけどね」とさらっと言ってくれることに感動さえする。弟が生きているだけで嬉しい。くさいことを言うけど、生きてくれていてありがとう。
死んでもいいよ。でも、私は死んでほしくない。
私と弟はとかく死にたがる傾向がある。すぐに「死にたい」などと言っちゃう。今は深刻ではないけれど、ほんの数年前までは本気の「死にたい」であった。私なんて、20歳頃の夏に、窓を全部締め切って水も飲まずに熱中症を狙って死のうとしたこともあった。追い込まれているときは何をしでかすか自分でもわからない。
 
私が「死にたい」と言うとき、言われたくない言葉のひとつに「死んじゃだめだよ」がある。「死んじゃだめ」という言葉には世間的な価値観が含まれているように感じる。「死んじゃだめ」は私の心には空虚に響く。私が死にたいと思うときに言われたい言葉があるとするなら、それは、「死んでもいいよ。でも、私は死んでほしくない」だ。死んでもいいと言われることで自分には死を選ぶ自由があるのだと思えて心が軽くなる。それと私の死にたいという気持ちを肯定されたいというのもある。そして何よりも「"私は"、死んでほしくない」と言ってほしい。「死んではいけない」だと気持ちを否定されているような気になるし、「死ぬことはいけないことなのか?」という疑問も湧き上がる。それに対して、「私は死んでほしくない」という言葉は、相手の気持ちだから、最高に真実味がある。
 
自分の気持ちを相手に伝えるということは、「私はこう思っている」ということを一切のごまかしなく素直に言うことではないだろうか。死にたいとき、死にたいという気持ちにまつわる会話を通じて、我々は前を向いて歩いていけるようになるのではないだろうか。「話す」は「離す」なのではないだろうか。
 
どんなに超えるのが無理そうなハードルでも、歩いてみれば、実は下をくぐれることだってある。だめならだめのままでいい。死にたいなら死にたいままでいい。生きても死んでもいい。ただ、私には死んでほしくない人がいる。そんな愛する人に、私がいつか「死んでもいいよ。でも、私は死んでほしくない」と言うときが訪れるなら、私には誤解のないように一つ付け加えておかねばならないことがある。それは、私は「生きても死んでもいい」という言葉を通じて、生きていてほしいだけなんだよ。そのことだけは伝えておきたい。