みっつ通信

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怒りの出し方を考える。

今までは怒りの感情を出すことはいけないことだと思っていた。最近になって、怒りは押し殺すものではなくて、「表現するもの」なのではないかと思うようになってきた。怒りをそのまま表に出すことは周囲によい影響は与えない。直接相手に怒りをぶつけることも避けたい。しかし、怒りを押し殺していると溜まってしまう。だとしたらどうしたらいい。多分、怒りの出し方にはコツがある。
 
怒りの爆発は「冷静に本音を言う」ことで回避できるのではないか。
 
私は今までにも何度か怒りの出し方を間違えてきた。その度に怒りなんて押し殺すものであって表に出すような感情ではないと心に言い聞かせてきた。つまり反省である。この反省という儀式がやっかいなのである。個人的な話を挟むけれど、私はずっと父親を反面教師にしてきた。父親はすぐに怒鳴る。他人に対しても横柄に振る舞う姿を見て、私は絶対に父親ようにはなるまいと決めていた。
 
だから、店員さんに向かって怒鳴り散らしている人を見かけたときなどはどうしても軽蔑してしまう。そういう光景を見る度に「怒りを表に出す人はなんて醜いのだろう」と何遍も繰り返し思うのである。
 
だから、私は怒りを表に出さないように、怒りという感情を心の奥に沈めた。怒りを押し殺すことに失敗したときは反省をする。反省するから、また怒りを押し殺す。父親のようにはならないように。しかし、怒りを押し殺すほどに、溜まる。言いたくてたまらないのに我慢した一言が、溜まる。そして、何かの拍子に堪忍袋の緒が切れると、溜まった怒りが腐敗臭を放つように噴火する。結果として、父親と同じ姿になってしまっているのである。
感情を差別しないこと。
多分、反省はしなくていい。怒りを忌避しなくてもいい。私が大切にしたいのは、怒りも自分なんだよということだ。感情を差別してはいけないのだと思う。喜怒哀楽の怒と哀だけを、自分から取り除くなんてことはできないんだと思う。怒りも哀しみもなかったことにするほどに、その感情はくず鉄のように錆びていき、暴発する時を待つ拳銃のようになってしまうのだと思う。
 
「古さ」が問題だ。溜めてはいけない。負の感情を怪物にしてはいけない。怪物になる前に、感情が新しいうちに、全部出してしまうことだと思う。怨念になる前に出す。
 
怒りの出し方として、私は「冷静に本音を言う」ことを大事にしている。どんなに言いにくいことでも、勇気を出して言う。引っ張らないこと。遠回しに言わないこと。多分、本音を伝えたくなるということは、それだけ相手のことが好きなんだ。それならば伝えよう。まっすぐに自分の言いたいことを。
 
大切なことだと思うから二回言う。感情は差別してはいけない。怒りからも、哀しみからも、目を背けないこと。負の感情が古くなる前に、新鮮なうちに出すこと。特に怒りの場合は、怒るのではなくて、相手の気持ちを汲みながら、冷静に本音で自分の気持ちを伝えること。
 
きっと、その先に楽しさと喜びが待っている。