みっつ通信

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我がままに生きる。

よく考えてみれば、私はその人の「存在(在り方)」を好きになることはあっても、その人の「功績」を好きになったことはない。多分、そこにある違いは、人かどうか。存在は人、功績は人じゃない。普段我々が人を好きになるとき、その人の功績に対するリスペクトはあっても、功績そのものを好きになることは滅多なことではないんじゃないかなと思う。好きになるのは、その人の「存在」であり、これは揺るぎない事実ではないかと思う。
 
いま私は家の中でこの文章を書いているけど、私は家の外が本当に今この瞬間にも存在するのかどうかはわからない。もしかしたら、自分がそれを見ているときだけ、それは存在しており、見ていないときはこの世には存在しないのかもしれない。ただ、たしかにそこに在るということだけは認識している。間違いなく、そこには在るという確信を持っている。
 
私たちが何かに思いをはせるとき、その存在に触れようとする。好きな人のことを思うとき、ここにはいないけれど、この世界のどこかにいるということを信じているから、その存在を拠りどころにすることができる。多くの人が功績を残すことに躍起になっている世の中で、ただそこに在るということ、存在するということに命を注ぐという人は少ない。
 
輝きを放つ存在はそれだけで人を魅了し、そして、存在するということそれ自体が功績になる。
 
私は「我がままに生きる」という言葉が好きだ。我が、ままに。ただ自分がここに在る。それだけでいい。価値は存在に宿る。生きているだけで、充分、この世にきらめきを残すような存在。星のように在ること。星そのものには意味がないけれど、星を見る人は星にいろいろな思いをはせる。星なんて役に立たないからいらないなんて言う人がこの世にいるだろうか。私はそんなことを言う人は見かけたことはない。ただ、そこに在ってくれるだけでいい。人がみな星であったらと思う。私は、我がままに生きたいと思う。わがままだね、と言われるかもしれない。それでもいい。我がままに生きることが、結果的に人を勇気付けることになったら幸せだなと思う。