みっつ通信

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地球がまあるいなら、きっと、心もまあるい。

最近は家でゆっくりと映画鑑賞をしている日々だ。ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの『セブン』という映画が良かった。ネタバレは避けたいのでセリフは書けないけれど、もし機会があったら観てほしい。というわけで、相変わらず暇を謳歌している私は、いつものように頭の中がめちゃくちゃなので、それを整理するために最近思ったことあれこれを書こうと思います。

1.人の良いところに目を向けよう。

最近、弟と話していて思った。ついつい自分は人の悪いところに目が行きがちな気がするんだけど、少しでもいいから人の良いところに目を向けることを忘れちゃいけないなと。相手のここが悪いというところをあげるより、相手のここが良いというところを意識するだけで、毎日の隙間に隠された奇跡を覗き見することができる。多分、相手に99個良いところがあっても、1個でも悪いところがあれば、そこを責めてしまいがちだ。私は、もう少し人の良いところに目を向けようと思った。

2.何事も欲しているときにやるべきだ。

理屈はいらないと思う。欲しているときに食べろ。欲しているときに眠れ。欲しているときに好きなことをやれ。私はやりたいことがないから映画を観るのは嫌だ。いま観たいなという気分の時に映画を観たい。多分、大切なのは、自分がそれを欲している状態を作り出すことだ。身体を動かせば腹は減り、頭を働かせば甘いものが欲しくなる。好奇心が惰性になったらゲームオーバーだと思う。何事も欲しているときにやるべきだ。

3.長いあいだ一人でものを考えていると、結局のところ一人ぶんの考え方しかできなくなるんだ。

村上春樹の名言集が良かった。

長いあいだ一人でものを考えていると、結局のところ一人ぶんの考え方しかできなくなるんだということが、ぼくにもわかってきた。ひとりぼっちであるというのは、ときとして、ものすごくさびしいことなんだって思うようになった。

 

『スプートニクの恋人』より

個人的には特にこの言葉が良くて、なるべくでいいから一人でものを考え続けるよりも、人と話をする機会を持ったほうがいいなと思った。

4.生きているだけで、充分、頑張っている。

「何もしないでいる自分には価値がなく、何かをしている自分には価値がある」という言葉を聞いたら、どう思うだろうか。逆に「何かをしている自分には価値がなく、何もしないでいる自分には価値がある」という言葉を聞いたら、どう思うだろうか。原理は同じだと思う。どちらも何に価値があるかを考えて、自分の行動を決定しようとしている。私は思う。何をしていても、何もしていなくても、自分には価値があると。私には好きな言葉がある。それは、「生きているだけで、充分、頑張っている」だ。自分を責めちゃいけないんだと思う。生きている間に功績が残せたらラッキーくらいの感覚で生きていたいと思う。ありがとう、私たちは生まれた時からとっくに許されている。

5.引きこもりという概念について。

たまに自分のことを引きこもりみたいなものだと説明してしまうときがある。昨日の寝る前に「引きこもりとは何だ」と考えていたら、変な考えが降ってきた。家に引きこもっていなくても、どこか例えば会社に引きこもっている人もいるのではないか。会社に引きこもっていなくても、県内から出ない人もいるのではないか。県内に引きこもっていなくても、日本から出ない人もいるだろう。日本に引きこもっていなくても、この世界には引きこもっている。この地球にいなくても、人類はみな宇宙には引きこもっている。そこまで考えたところで、謎に最後に「自分という人間からは逃れられないという意味では、みな自分という人間には引きもこもっているな」と思った。その時になんとなくだけど、自分と宇宙の原理は同じようなものかもしれないと思った。

6.どんな人間も、自分と同じ人間である。

おぞましいことをする人間をどんなに忌避したところで、相手も自分と同じ人間であるということは否定できないと思う。一万歩譲って「あんな奴は人間じゃない」と言うこともできなくもないけれど、生物学的観点(?)から言えば、どんな人間も自分と同じ人間である。相手は自分の一部であるという感覚というか、どんなに嫌いな相手であっても自分と同じ人間だという見方を捨てたくはないなと思う。

7.自殺は他殺。

ふと、その人はなぜ自殺したのかということについてはあまり語られていない気がするのはなんでだろうかという疑問が頭の中に降ってきた。その人が自殺した理由なんて、その人にしかわからないとは思う。でも、本当は自殺した人もなぜ自分が自殺するのかなんて理由はわからない場合もあるんじゃないだろうか。多分、殺人事件が起きたら、どこまでも犯人を追い詰めていくと思う。でも、自殺はどうだろう。最近は「自殺は他殺」だと感じる。なぜその人が自殺したのか。加害者を追い詰めるために考えるわけじゃない。ただ、殺人にも動機があるように、自殺にも動機があると思う。自殺は、社会の殺しだと思う。答えなんて出ないと思うし、答えなんてないとは思う。けれど、もし今に自分にできることがあるとすれば、そして自分を救う可能性があるとしたら、それは、もう少し自分や周囲の人間が楽になる考え方を身につけることではないかと思った。

こないだ聞いた話だけど、アフリカに長くいた人が、向こうは貧しくても自殺する人間はまったくいないとのことだった。貧しい地域の人でも自殺はしないのに、なぜ、これだけ物が溢れた日本でこれだけの自殺者や鬱病患者が出るのだろうか。私には、人がなぜ自殺をするのかということ、そして、それを食い止める方法があるとしたら、今の自分にできることは一体何だろうかということについて、もう少し考える必要がある。これは直感だけど、アルコール中毒とか、ドラッグに手を出すとか、そういうのは自殺と同じような原因がある気がする。というかほとんどの原因がどこか同じところにあるような気さえする。これはもう少し掘り下げなければいけない。

8.弟の夢の話。

今日起きたら、弟が悪夢を見たと言っていた。そのせいで起きれず、ずっと眠っていたらしい。私も丸一日、同じ家にいながら、昨日は弟に会わなかったので、弟は24時間は布団の中に入っていたという計算になる。その弟の夢の内容にとてもシンパシーを覚えた。少し切り口が変わるけれど、普段、私たちは父親の話をすることは少ない。というか滅多にない。でも、それでも夢に父親が出てくることは多い。多分、記憶の深いところか、それとも潜在意識がよくわからないけれど、自分たちの深いところに父親の存在は根付いているんだと思う。過去の話なんかしたいわけじゃないけれど、その弟の夢の内容が私の見る夢と瓜二つだったので。

父親が弟にめちゃくちゃ暴言を吐いている。弟はそれに堪忍袋の緒が切れて、父親にビンタをする。それに続いて、弟は父親の頭を何度も何度も引っ叩く。そしたら突然私が出てきて、私もそれに加勢し、父親の頭を何度も弟と一緒になって叩きまくっていたとのこと。そんな夢だったらしい。私も同じような悪夢をよく見る。父親が暴言を重ねるので、それに反抗する形で、こちら側が父親に暴力を振るいまくる。夢って不思議だなあと思う。

9.「死にたい=自殺したい」ではない。

死にたいと口に出すとき、それは死にたい気持ちになっているということだ。私の場合、死にたくなるときは大抵この世から消え去りたいと思っている。死にたいということは自殺したいということではない。多分、この世に自殺したい人なんていないと思う。自殺という行為を通じて、死そのものを迎え入れたいと思っている。自殺なんて絶対に苦しいと思うし、自分ならそんな痛そうなこと絶対にしたくないなと思う。それでも、死ぬには自殺という手段しか使えないので仕方なくそれこそ自然に消え入るように自殺するのだ。多分、死にたいということは消えたいということと同じだ。この世から消えてなくなりたいという気持ち。自然に還りたい気持ち。私は、自分が死ねば、この世界も死ぬと思っている。つまり、我々が見ている世界というのは、自分が見ている世界だ。私は自殺で死ぬのは避けたいと一応は思っているので、できれば「この世界を好きなように覗きたい」と思っている。解決策でも何でもないけど、どうせ最後には死ぬのなら、私はこの世界を自分勝手に見て死にたいと、そう思う。

10.俺が生きてるから、君たちは生きてるし、俺が死ねば、君たちも死ぬんだ。

死ぬということは、自分の世界の終焉を迎えるということである。あの人の好きなところは、この自分でいるからこそ感じられる。多分、自分という人間がこの世で唯一無二の存在であるように、人を好きになる気持ちも唯一無二だ。同じ顔の人間はいない。私が私でなかったら、あの人をこんな風に愛したりはしない。すべてが重なっているからの感情だ。俺が死ねば、あの人は死ぬし、俺が生きてるから、あの人も生きてるんだ。さあ、どういう風にこの世界を覗いていこうか。表現して生きるか、表現しないで死ぬか。

11.絶望の意味。

「絶望」という言葉がある。多分、望みが絶たれた場合に使われることが多い。物事が行き詰ったときに、出口のない一室に閉じ込められたときの気持ちを表現するときなどに「絶望した」と言われる。が、本当の絶望の意味とはなんだろうか。絶望の意味について考えてしまうことが絶望だろうか。という冗談はさておき、私は、絶望とは「望みが絶たれる」というよりも「望みを絶つ」と読みたい。多分、何かを望んでいる状態は不自由だ。何かに執着している状態のことを人は「望んでいる」と言うんだと思う。そんな望みを絶つ。望みを絶つということは、執着から離れるということだ。執着から離れるということは自由になるということだ。この世は自分が見ている世界だ。それならば、八方塞がりな状態などあるだろうか。少なくとも死後の世界ぐらいは安寧じゃないだろうか。それならば、絶望するということはつまり自由になるということではないだろうか。私は「絶望した」という言葉を「望みを絶ってやった!」という風に置き換えたいと思う。執着から解き放たれたとき、人は絶望し、自由になる。不自由な人はきっと絶望が足りてないのだ。

12.地球がまあるいなら、きっと、心もまあるい。

ここまで理屈を並べておいてあれだけど、私は頭で理解するよりも人の心のコアにふれたいと思っている節がある。人の奥底にある普遍性にふれたい。そのために考えを掘り下げたり、文章を書くなどして表現をしようとしたりしてるんだと思う。元来、寂しがり屋なのかもしれない。心の奥底ではみんなつながっていると信じたい。この地球がまあるいように、この心もまあるいんだろうなと思う。心の奥底にある人間の深いやさしさにふれるために、私は今日も生きる。まあるい心でいたい。角が立つ心になってしまう時があるなら、せめてでも豆腐のようなやわらかい心でありたいと思う。まずは心を救え。そんなことを思った。月並みかもしれないけど、人生に行き詰ったときは好きな人のことを思い出そう。好きな人の前にいるときの自分を思い出そう。最後はそんな感じのことを書いて、この長い文章を締めくくりたいと思う。"月並み"で思い出したけど、そういえばお月さまも、まあるいね。