みっつ通信

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物語は続く。

最近はめいっぱい腹をすかせた状態で、送っていただいた食品に向かって正座をしながら、「まじでありがてえです、ほんとにブラボーです」とひとりで言っています。今も思い出したら泣けてきました。こんなおれに、こんなおれに。ああ、今のおれにできることってなんなんだろう。

言葉で恩返しというのは、もっとまともな言葉を羅列してからにしろよっていう話なのかもしれませんが、今のおれにできるせめてでものお礼はこうしてブログを書いて、「一応おれは元気に生きてます!」って示すことぐらいなのかもしれません。ほんとうにありがとうございます。今日も最近思ったことあれこれを書かせていただけたらなと思います。

一生懸命に生きるクソムシを貶すやつがいたら、俺が蹴飛ばしてやる。

ついこの前、自分のTwitterで「他人を蹴飛ばさなくてもいいよ」とあたかも「(Charaで言うところの)やさしい気持ち」で言っておきながらも、すぐにこうやって俺が蹴飛ばしてやるなどと言ってしまうあたり、私はクソムシである。でも、クソムシで生まれたから、私はあなたに会えた。これが世間的にも社会的にも絶対に正しいんだという価値観で生きてきたひとは、果たして死ぬ間際に「自分は幸せだったな」と言って死んでいくのだろうか。

ひとが死が近付いてきた時によく言うセリフがあると聞いた。うろ覚えだけど、それは、「もっと遊べばよかった」というものらしい。あなたは死ぬ瞬間に「一生懸命に生きたな」と言うのだろうか。それとも、「もっと遊べばよかった」と言って死んでいくのだろうか。どちらもいい。どちらもいいけれど、私はたとえ自分がクソムシであっても、自分の道を行きたいと思う。正道という名に恥じぬように。もしも、がんばるクソムシをけなすような奴がいたら、俺が蹴飛ばしてやるよ。

あなたはおかしくない。

自分のことを「性格が悪いかな」とか、「自分は性格がひねくれているのかな」とか、そうやって自分のことを「自分がおかしいのかな」ってついつい思っちゃうようなひとには、「あなたはおかしくない!」と言いたい。あなたの性格は悪くないし、あなたの性格はひねくれてもいない。あなたはおかしくない。少なくとも私は、自分自身のことを省みちゃうひとのことは好きだ。そのままでいてください!と思う。

あなたはだめじゃない。

自分のことを「だめだなあ」って思っちゃうようなひとには、「私はあなたのだめさが大好きです!」と言いたい。誤解を招く可能性があるので、もう一言付け加えると、あなたのだめだと思っているところは全然だめじゃないですよ! むしろそこがいいところなんです! と言いたい。

楽しそうなバカは人を生かす。

あまりバカって言葉を使わないので、このニュアンスが上手く伝わるか心配なのですが言わせてください。バカがバカのままでいてくれること、バカが楽しそうに生きようとしてくれていること、それ以上に自分に希望を与えてくれることがあるだろうか。私は今までバカに生かされてきたんだよ。変わらずにいてくれてありがとう。あなたがバカのままでいてくれなかったら、私もバカのままじゃいられなかった。

他人の影響を受けやすいということはチャーミングである。

チャーミングであることは、すばらしいことだと思う。そして、チャーミングであるということは、他人の影響を受けやすいということでもあるのかもしれないと思った。普通(?)、「他人の影響を受けやすい」という言葉はあまりいい意味では使われないと思う。しかし私は、レジの店員さんとか、目の前にいるひとにすぐにくらってしまうようなひとが好きだ。すぐにくらってしまうようなひとは、多分、感受性が強くて、そしてひとを愛せるようなひとだと思う。私は、チャーミングなあなたが好きだ。

何かをしてくれるから愛しているわけじゃない。

何かをしてくれるから、愛をあげるわけじゃない。あなたのことを愛しているから、あなたに愛をあげたくなるんだ。あなたがいつか期待に応えてくれる気がするからとか、いつか私のことを変えてくれる気がするからとか、行く道が同じ気がするからとか、そんなつもりであなたに愛をあげているわけじゃない。私は、あなたがあなたのままでいてくれるから、愛をあげたいとそう思えるんだ。

物語は続く。

物語に救われることは多い。でも、作られた物語もいいけれど、人が生きるということそれ自体が物語なんじゃないかなと思う。生きているだけで、充分、物語は続いていく。

最近は「どう生きるか」よりも「いかに死なないか」ということを思っている。私はどう生きるかを考えて、そしてその考え出した生き方を行動に移せるほど優れた人間じゃない。ただ、どう生きるかということを考えることを通じて、自分を生かしてきたのかもしれないと思う。考えているときだけは自由になれる。

でも、最近はそんなにどう生きるかということもあまり考えなくなった。なるようになるさ、と思っている。ただ、そんな自分にも行動に移せることぐらいあるかもしれない。それが「いかに死なないか」だった。肉体的にもそうだし、心的にもそうだ。自分を死なせたくないと思う。

自分を死なせたくないから、きっと、こうやって言葉を考えたりしているんだし、文化(サブカル)の生き血をすすったりしているんだと思う。生きているだけでいい。生きているだけで、自分の物語は続いていく。かっこ悪い人生でもいい。無様でクソでもいい。誰の役に立たない人生でもいい。死んだら死んだでいい。ただ、死ぬまでは死にたくない。

自分の物語がいつか終わりを迎えるその時まで。祈るように生きていこう。

 

物語は続く。