みっつ通信

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自分を楽しませること。

人は自分を楽しませることができていない時に、人を責めたりする。もったいないなと思う。私は人に責められているような気分になる時、「どんな生き方をしていてもいいじゃないか」と思う。

私はよくある「ちゃんとしなさい的な説教」を聞くのが嫌すぎるから、誰とも会いたくないと思ったりする。実際にはストレートに説教をされることは(自分が避けているのもあってか)、滅多にないけれど、それでも世間的な雰囲気にやられそうになる時は多い。

前に自転車で旅をした時に、コンビニなどで休んでいるとよくおばさん達に話しかけられた。みんな愛想はいいんだけれど、不思議とみんな揃って「若いからできるのよアハハ」みたいな反応が多くて、私は戸惑った。

若いうちからちゃんと勉強をして、ちゃんと仕事をして、ちゃんと世間的によく思われるような生き方をしなさいみたいな意見をよく聞く。実際に私は言われたことはないが、そういう話はよく耳にする。

自分に直接言われてなくても、誰かが言われているのを見れば、自分にも言われたように感じる。もっと苦労をしろとか、若いうちに遊んでおきなさいとか、よくそれっぽい話は聞くが、私にはどうしても納得がいかない。

今のうちから苦労をしてもっと将来のためにちゃんとしなさいという人も、若いからできるのよという人も、全然幸せそうに感じない。自分の生きてきた過去を認めたいだけなんじゃないかと思ってしまう。

多分、暇なんだろうなと思う。人は自分を楽しませることができていない時に、人にああだこうだと言う。この際「ちゃんとする」というのは「自分を楽しませる」ということにしたらどうだろうか。

今を犠牲にして老後の安泰を買うくらいなら、老後の安泰なんていらない。それに苦労をすれば老後が安泰になるとも限らないし、もっと言えば苦労なしで老後の安泰が確保できたらそれこそ一番じゃないかと思う。

自分が大切にしたいことは、自分を楽しませる方法を見つけていくことだ。

遊ばずに年をとっても、自分を楽しませる方法を知らないのであれば"安泰"は"退屈"になるだけだと思う。人は退屈している時に、人に説教をしたり、苛立ったり、バカにしたりするんだと思う。

全部やれればいいのにと思う。若いうちから仕事をしても遊んでもいいし、年をとってからも仕事をしても遊んでもいい。何もかもその人の自由でいい。ただ、自分を楽しませる方法だけは勉強しておかないと、他人に四の五の言うようになってしまうような気がする。

生きる上でもっとも大切な仕事は「自分を楽しませること」だと思う。