みっつ通信

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「育て方を間違えた」なんてことがあるわけがない。

今日はスタバでコーヒーの入ったカップを思いっきり床に落としてしまって少し落ち込んでいる。テーブルの土台?の部分を足で踏んだらこれでもか!というほどテーブルが傾いてしまった。店員さんが気持ち5秒ぐらいで駆けつけてくれて迅速に掃除をしてくれた上に新しいコーヒーを持ってきてくれてスタバの接客は神だなと思った。隣に座っている人にかからなくてよかった。
 
なんだかそれほど人には会ってないんだけど、不思議と会っていない時のほうが思うことが多くなるような気がする。いくつか思うことがありまするので、ちょっとまとめよう。

皿はわざと割れるもの。

昔からなぞに「皿はわざと割れるもの」なんじゃないかと思っている節がある。普通に喧嘩にあるように皿を投げて割るのもそうだし、何かの拍子に落とすこともそうだ。皿は偶然に割れるのではなく、必然的に割れるんじゃないかと思っている。「落として割れちゃった」みたいな時は何かのサインが胸から出てるんじゃないかと思ったりする。「わざと」というと誤解を招くかもしれないけど、意図しないところで意図的に割れるものが皿だ。

勧善懲悪について。

私はあまり勧善懲悪ものの物語が好きではない。何が善で何が悪なのかそう簡単に分けることはできないと思っている。この前ちらっと思ったんだけど、多分、勧善懲悪ものは悪を断罪しているという意味でそれを観ている側からすれば気持ちのいいものなのかもしれない。ヒーローが悪をぶっ倒す。でも、なんだかその爽快感だけが全てではないと思った。多分、善が悪をぶっ倒しているという構図を観ている集団が同じ気持ちになっていて、それを同時に分かち合っているという感覚が安心感を呼ぶ。それが多分気持ちのいいものだ。

育て方に間違いはない。

よく「育て方を間違った」という言葉を聞く。私はそういう言葉を聞くと、「間違った育て方があるということは間違った人間がいるということになる」と思う。そしてすぐに「間違った人間などいるのか」と思う。間違った育て方もクソも何もないし、「私の育て方が間違った」なんて言っている時点で「何も育ててないよあんたは」と思う。

俺は誰にも育てられてない。

私は「父親はどうしようもない人間だった」と書くことが多い。でも、最近はいろいろと違和感を抱く。まれに「あなたは母親の愛情によって育てられたのよ」と言ってくる人がいる。決めつけるんじゃねえぞと思う。父親がおかしくても母親がまともだったからあなたは育ったと。そんなことはないよと思う。「義務教育を受けなかったことはとてもいいことなのよ」とほざく人もいる。知るかよと思う。
 
俺は誰にも育てられてないよと思う。自分で自分を育ててきたんだよと思う。私は傲慢だろうか。誰にも育てられた記憶なんてないぞと。

心と心と心。(心、心、うるさくてごめんなさい)

「俺の領域に踏み込んでくるな」と思うことが多い。多分、それは「みっつさんは仕事しないの?」とか、「みっつさんは何かやらないの?」とかそういう感じのことだ。勘弁してくれと思う。それは俺が決めることじゃんよと思う。俺は俺のペースで好きなことをやってそれで生きていってるんだし、あなたにも誰にも迷惑をかけてないんだから、俺がやることぐらい俺が決めるよ。だからそういうのはやめてくれよと思う。
 
それ自分の問題じゃんと思う。自分の問題を俺に押し付けてるんじゃんと思う。悪意がないのはわかってる。ただ悪意がないということは無自覚に言っているということだ。たちが悪いぞと。
 
どうして私は弟と仲が良いのだろうかと思う。それは今まで二万回ぐらい喧嘩してきたからだろう。喧嘩が勃発しているときは相手の心に踏み込んでいた。「お前は何なの?」、「なんでイラつてるの?」、「どうしてお前はすぐにそういうことを言うの?」。これは全部相手を自分の思い通りにしたい証拠だ。
 
相手をどうにかしたいという気持ちは平気で相手の心を蹂躙するきっかけになる。いま平穏なのは、きちんとお前はお前、俺は俺、が暗黙の了解になっているからだ。お互いがお互いをどうにかしようなんて思わない。
 
一に、相手をどうにかしようと思わないことだ。
 
表面的な会話をしていると荒む。なんでこんなつまらない話を延々と聞いていなければならないんだと辟易してくる。そのことを相手に伝えたところで相手が変わる気配がなさすぎる。それならトラブルを起こすなんてバカらしいからと黙る。俺とお前がこの場にいて、奇跡的な流れで会話を交わすことになっているというのになぜこんなにも自分たちとは関係ない話に終始しなければならないんだと思うことは多い。
 
心と心が直接ぶつかっても意味がない。心と心から遠く離れたところで自分たちとは無関係の話をしていても腐る。それなら思っていることを述べて、それをクロスさせようじゃないかと思う。
 
ニに、表面的な会話はいらない。三に、自分の思っていることをお互いがクロスさせ合う。心を通い合わせる。キャッチボールには適切な距離感があるはずだ。近すぎても(過干渉)、遠すぎても(無関心)よくない。ちょうどいい距離で心を投げ合おうぜと思う。