みっつ通信

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「寂しい」は生きたい、「死にたい」は温もりに触れたい。

奇跡的にわたしのことを知っている方が「みっつは元気だろうか」などなど思ってくれて、みっつ通信を覗いてくださることがあればいいなあ。ブログ記事の拡散もせずたんたんと更新していますが、拡散は自意識が邪魔をする上に「これは読んでもらいたいなあ気持ち+たまたま勢いがある時」に限ってしかできないので今日も粛々と思ってしまったことあれこれを書くのみ。何にもない自分にも人のことを思ってなら文章を書けるんだ!(これを読んでくれているあなたに愛をあげる)

気持ちが嬉しくて。

今日、弟がローソンに売っている「はみでるバーガー グラタンコロッケ チーズソース」を買ってきてくれて食しました。とてもおいしかったです。マックのチーズ―バーガーが大好物なのですが、同じ130円ならこちらを買うのもいいなと思いました。そのお味もさることながら、それを弟さんが買ってきてくれたということ、「お金を出すよ!」と言ったら「お金をもらったら意味ないよ!」と言ってくれたこと、多分、そういう気持ちが嬉しかったのだと思います。先日、私めにコーヒーを送ってくださった方がいらっしゃいまして、そのコーヒーとともにいただきました。ありがとうございます!!おいしいものを食べると涙が出そうになる傾向がある私ですが、年をとるにつれてますます涙もろくなってきたような。

スターバックスの奇跡。

つい先日、スタバでワンモアコーヒー*1をプリーズしたところ、アンケートレシートをもらいまして説明を受けました。アンケートに答えればトールサイズ*2がどれでも一杯無料だとのこと!次の日にさっそくアンケートに答えた後に表示される番号をレシートに書き込み、スタバでレギュラーメニューでは一番高いと思われる「ダーク モカ チップ フラペチーノ」に無料でホイップ増量とチョコレートソースをかけてもらいおいしくいただきました。話を聞いたところによりますと、なんとそのレシートが当たる確率は1/1500らしい!

そして、私は一昨日に「ちゃんと無駄するぜ!」とブログで豪語しておきながらも一日ぼーっとしていたら無駄をすることにも飽きてしまい、昨日は外出をして遊んできました。またしてもスタバに行きワンモアコーヒーをプリーズしたのですが、なんということだろうか、奇跡的にまたアンケートレシートが当たりました。店員さんに「このレシートはご存知ですか?」と聞かれたので、「あ、知ってます。この前当たりました」と言ったら、「この前当たったんですか......すごいですね」と驚かれていました。3回の間に2回1/1500のが当たる確率ってどのくらいなんだろう。また近々スタバにいこう。

*1 ドリップコーヒーに限り二杯目は150円(Starbucks Webに登録したカードで一杯目を注文すると二杯目は100円)で頼める。そのシステムをワンモアコーヒーという。
2* ショート→トール→グランデ→ベンティの順で大きいサイズになる。トールは普通サイズくらい。

行くか行かないかをお金で決めてはいけない。

会いたいから会いにいく。大切な者のために走れ!生きているのは今だけだ!以上!!

人の良いところに目を向けるのは難しい。

昨日はいろいろと思うことがありました。ブログなので細かいことまでは書けないですが、人の話を聞くということは深いなと。相手が負の感情に支配されて人の悪口や陰口などを言い続ける場合、それを聞いている自分も何かの拍子にダメージをくらってしまうことがある。いくつか前の記事で「人の良いところに目を向けよう」と書いたのですが、しばらく経った後に「人の良いところに目を向けるのは難しい」と思った。

その人は普段は良いところもいっぱいある人かもしれない。でも、人の悪口を言うときは負の感情に支配されている。人の悪口を言っている瞬間のその人は負に支配されているから、その状態の相手を見て、良いところに目を向けるというのは何か矛盾しているような気がする。人の良いところに目を向けるという行為それ自体はさしずめ「自分が冷静でいるため」のテクニックぐらいでしかない。

コミュニケーションにおけるテクニックのようなものは誰のためにもならない気がしている。その状態にある人がいるならこうすればいいといったテクニックやアドバイスには「誰にでも当てはまる」という前提がある。実際には人はさまざまな事情を抱えている。人の良いところに目を向けるということも、ありのままの相手を見ていないという意味ではテクニックのようなものだ。

思考の癖を取り外せ。

多分、人の悪口や陰口を言う人は思考の癖が出来上がっている。嫌っている相手を見た瞬間に古くからの怨念が呼び覚まされ、ありのままの相手を見ることができなくなる。

話したってわかりっこないという。私もそう思うことはある。これについては弟とも話したけれど、相手に何を言ったってわかりっこないという気持ちは「相手をそう見たい」だけなのかもしれない。相手のことを悪く思っていれば、自分を見つめることをせずに済むのかもしれない。

我慢をしないこと。

相手のためにと思って話を聞くことで、もしも自分が我慢をしていたとしたら、それは相手のためにはならない。自分を殺してまで相手の話を聞くということは互いが落ちて終わる。我慢しているということは言いたいことがあるけど言わないということだし、相手がずっと悪口を言うのを黙って聞いていても相手はエンドレスでこれからも悪口を言い続けるだろう。解決の見通しのない話を聞いていてつらいのは八方塞がりの状態に悲しみを感じるからだと思う。

多分、悪口や陰口を言うということは行き場のない気持ちが出口を探して彷徨っているようなものだと思う。我慢をしてはいけないと思う。自分が言いたいことを言うことが結果的に相手のためになると信じることが「信頼」じゃないかと思う。

「寂しい」は生きたい、「死にたい」は温もりに触れたい。

最近は孤独を感じることが多い。一人が好きだとは言う。けれども、まったく気を使わずに人と触れ合うことができたら、それは率先してやりたいことになるんじゃないかと思う。一人がいいなんてことはあるだろうか。一人は楽だということだけがあるんじゃないだろうか。一人が好きなのは好きだ。でも、好きな人と一緒にいる時間も好きだ。

さっき弟と話していた。弟は「俺も孤独を感じるよ」と言っていた。そこで寂しさとはなんだろうかという話をした。弟がぽろっと言った。「寂しいって感じるってことは生きたいっていうことなのかもしれないね」と。私はピーン!ときた。ピンピンきた。それは本当にそうかもしれないと思った。

私は「寂しさが生きたいという気持ちだとしたら、死にたいという気持ちは『温もりに触れたい』ということなのかもしれないね」と言った。孤独を感じているときは寂しいと思う。でも、孤独を感じているということは「まだ生きたい」と思っているのかもしれない。そして、死にたいと感じるときもまた「温もりがほしい」という意味では生きたがっている。どちらにせよ俺はまだ生きたがっている。

迷ったらかっこいいほうへいけ。

最近までDAOKOと岡村靖幸の『ステップアップLOVE』にはまっていたのですが、その歌詞にある「現実を引き裂いていけー」という部分がかっこよすぎるのでずっとその部分だけ一人で歌っています。迷ったときは自分の中でかっこいいと思うほうへいけ。かっこいいと思うほうへ導かれていけ。現実を引き裂いていけー!

精一杯甘やかして育ててやれ。

『セブン』という映画のネタバレになってしまいますが、どうしても書きたかったので書かせてください!

役者名だとわかりづらいので主役のブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの名前で「ここがやばかったです」というところをちょっと聞いてほしいです。

簡潔にあらすじを紹介する。ブラピとモーガンは二人とも刑事である。七つの大罪を犯している人間を一人ずつ殺していく犯人を追いかけている。七つの大罪は「大食・憤怒・怠惰・嫉妬・高慢・色欲・強欲」だったはず。大食の罪を犯している人間を一人殺し、次は強欲な人間を殺す。そんな殺人を犯す犯人を追いかけるデカがブラピとモーガンである。

ブラピは結婚していて妻がいる。治安の悪い街に引っ越してきたばかりで心細い妻。モーガンさんを自宅で開いたディナーへ招待する。そこで仲良くなる。妻は後日、モーガンを食事に誘う。

うろ覚えなので曖昧ですが、妻は「頼れるのはあなただけで」と言ってモーガンさんに話を打ち明けた。実は妊娠しているということだった(この時多分妻は最初から生む気だったと予想する)。それを聞いたモーガンは自分の話を始める。

「自分も昔当時付き合っていた人を妊娠させた。その時は結果的に堕ろすことにした。今でもその選択は正しかったと思っている。が、あれから何十年経った今でも、その時の選択は正しかったのかと思い出さない日は一日足りともない」

「もし君が子供を産まない気なら夫には知らせるな。もし君が子供を生むとしたら、精一杯甘やかして育ててやれ」

この「精一杯甘やかしてやれ」という台詞のシーンで妻の人が横に顔を背け涙をこらえるという感じの演技をした時、それを観ている私もぐわっと目にいっぱい涙をこらえていた。やっぱり涙もろくなっている。この後、妻はありがとうと言っていた。

精一杯甘やかして育ててやれ。私は自分でも驚くほどにこの言葉に心が動いた。もしも自分に子供ができたとしたら、めいっぱい甘やかして育てようと思った。愛する人をどこまでも甘やかしたいと思った。

責任感が強いと言われて。

自分はこういうところが弱点なんだ。こういうことを言われると怒ってしまったり、悲しくなってしまうんだ。口で言うのは簡単だけど、本当はできれば自分の好きな人たちをみんな養いたいぐらいに思ってる。でも、今はそれができないから今の自分にできることをやってるつもりなんだ。それでたまにもっとこうしてみたらと言われたりするとついカッとなってしまったりして。俺は本当に情けないよ。

そう言ったときに「自分を責めたりしちゃうってことは責任感が強いってことなんじゃないかな」と言われたことがとても嬉しかった。

手を差し伸べてくれること。

私は人にアドバイスをされるのが嫌いだ。高慢の罪を犯しちゃっているのかもしれない。でも、そんな私にも話を聞いてくれて心からありがとうと思える人がいる。

ありがとうと思える相手は必ず、「私はこう思う」と言ってくれる。

私が人間関係の相談をして、否定されたような感覚、被害妄想的な解釈に陥っているときに「そうじゃないよ!」とか「もっとこう考えたほうがいいよ!」とか「こうとらえたほうがいいよ!」とかそういうことを言わないでくれる。

「自分はこう思う」と言ってくれる。自分が自分のことをだめだと思っているときに「それは責任感が強いってことじゃないかな」とか、「俺はその人は悪い意味で言っているんじゃなくて気を使いすぎちゃってるだけだと思うな」とか、より高次元の解釈へ導いてくれる。

本当にありがとうと思う。

お前が行動してるから救われる。

弟に「お前は俺の代わりをやってくれる感覚がある」と何度か言われたことがある。お前が行動してくれているから俺は救われている部分もあるとそういうような感じのことを言ってくれたことがある。私は「こんな俺でも役に立ってるんか!」と少し自信がつく。

誰も代わりはいない。お前も俺の代わりをやってくれている。俺もお前にめっちゃ救われている。

まずは自分を幸せにすることだ。

自分の状態が悪いときは相手のことも悪く見える。相手は自分の鏡だという。そうなのかもしれない。自分が幸せだな、今の俺はいい感じだなと思えているときは相手のことをすべて愛せるような感覚になる。

まずは自分を幸せにすることなのかもしれない。大事な仕事は自分を幸せにしてやることなのかもしれない。自分なんかだめだとなっていると周りも心配をする。俺は絶好調!となっているときは周りも「いいぞ!」となってくれる。

心の平和。

心の平和を見出す人を好きになる。相手といて落ち着くとか、疲れているときでさえ君と一緒にいたいとか、あなたといると安心できるとか、そういう自分の心の平和を見出だせる人は自分にとってかけがえのない人だと思う。執着はしたくないと思い続けていた。けれど今は失いたくないと思える人がいる。

自分との戦争は終わりだ。これからは心の平和を求めていく。最近は自分の欲求に忠実になりたいと思っている。俺は心の平和を求めている。人の幸せを願いたいと思う。

たまに自分は何と戦っているのだろうと思うときがある。仮想の敵と戦っているのかなと思ったりもする。自分の好きなことわざに「罪を憎んで人を憎まず」があるのだけど、もしかしたら人間のある側面と戦っているのかもしれない。

多分、それが戦争みたいなものだ。リアルの戦争には敵わなくても、自分の心の平和を実現することならできる気がする。争い事を止めるために争い事は起こしたくない。まずは自分の心を平和に保ちたい。穏やかでいたい。人を救おうなんてたいそうなことはできないかもしれないけど、心のどこかにある悪意みたいなものを浄化できるような言葉が紡いでいければいいなんてことを思う。