みっつ通信

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人生は自分一人じゃ完結しない物語だ。

体験談には説得力がある。だから、今日は体験談ベースでブログ記事を書けたらいいなと思う!

子供のままでいたいよ。

自分の子供の部分を忘れたくないなと思うことがある。でも、子供の部分ってなんだろうって疑問に思うこともある。しばらく考えたけど、多分、子供の部分っていうのはピュアさなんじゃないかなと思った。先日、親しい人と話をした。話の発端はこうだ。ある投稿に私のことが書かれていた。「みっつさんは知的で礼儀正しく素晴らしい」というような内容で、それを読んだ私は親しい人に「私は知的で礼儀正しく素晴らしいらしいですよ!」と半分ネタで言った。そしたら、親しい人は「たしかにみっつは知的で礼儀正しく素晴らしいと思うけれど、礼儀正しさは本当はみんな持っていて当たり前なんじゃないかと思うんだ」と言った。それに続いて、「たとえば子供とか、あいつらはみんな礼儀正しいと思うんだよね」と。
 
うろ覚えなので正確なセリフではないと思うけれど、それを聞いた私はハッとなった。たしかに、その話をした日も子供たちは大人にジュースをもらった時に大きな声でまっすぐに「ありがとうございます!」と言っていた。その直前までは本当に子供らしくじゃれあっていたのに。簡潔にまとめているので言葉不足の可能性もあるけれど、私はこういう意味での自分の子供の部分を捨てたくないなと思った。大人になってくると、「とりあえずこう対応しておけば問題ない」みたいな態度をとってしまうことがある。それは一見すると丁寧な対応にも見えるけれど、実際は流れ作業みたいなもので心が入っていない。そういう意味では礼儀正しくない。
 
私は、子供のままでいたいと思う。大人のふりをしたくないと思う。合言葉は「機械的より、自然発生的!」でお願いしたいです。(全然関係ないけど、丁寧な人には500倍返しで丁寧にしたくなるみっつです。丁寧な人にはいくらでも感謝の土下座をします!!)

愛する人が一人でもいれば。

生きたいと思うには。人生を生きたいと思うには何が必要になるだろうか。私は、多分、愛し合える人がいれば世界は変わると思う。一人でも自分のことをわかってくれる人がいれば、この人生をより生きていきたいと思えるんじゃないかと思う。私が死なずに生きてこれたのは家族のおかげだと思うし、今は身近な人が自分のことを救ってくれていると思う。あなたはあなたのままでいいよと言ってくれる人が周りにいてくれるから、自分は死にたいと思うことが減った。多分、誰にもわかってもらえない本当の孤独はとても寂しいものだと思う。心が壊れてしまいそうになることもあると思う。私が今、平気で生きていられるのはきっと話ができる人がいるからだ。きっと、生きたいと思わせてくれるものは愛するものの存在だ。私は生きている限り、あなたに対する感謝を忘れたくないと思う。多分、人生は自分一人じゃ完結しない物語だ。

良いほうへいっている。

自分の人生を振り返ったり、今よりも先のことを考えたりすると、私はすぐに自分の弱点に目がつく。私はお金を稼ぐ能力が極端にないので、今よりももっとお金を稼いで自活することができたらどんなに素晴らしいだろうとか、それができたら親を楽させることもできるだろうとか、そういうことを考えては「今の自分に足りないもの」について考えを巡らせてしまう。でも、そんなことを考えてながら生きているのも悪くはないのかもしれない。なぜなら、私は前よりも良いほうへ進んでいると思うからだ。今よりも良いほうへ、良いほうへいこうしている。堕落を目指していない。今よりも高みを目指している自分がいた。そこに「自分に対する安心感」を覚えた。このままいこう、と思えた。

怒られなかった。

2~3年ほど前にとある漫画喫茶にある人と一緒にいたことがある。私は当時、長く家にいる状態から抜け出し、まだ外の世界に触れたてのころだった。その時はたしか沖縄にいて、私は漫画喫茶へ入って少しした後に自分が持っていたはずのスマホの充電器をどこかに忘れてきてしまったことに気付いた。
 
私はとても焦った。何に焦ったのかというと、それを一緒にいた人に伝えるのがとても怖かった。その人のことが怖かったんじゃない。私は訳あってささいなミスでも犯すと怒鳴られる環境に育っていたので、自分が充電器をなくしたことはイコール「怒鳴り散らされてもおかしくない」ことだった。
 
なので、強烈な罪悪感を抱えながらも、私は一緒に行動を共にしていた人に罪を打ち明けるように「すみません、充電器をどこかに忘れてきてしまいました」的なことを伝えた。すると、びっくり。その人は「あ、それなら明日どこかで買おう」と言った。
 
私は心の中で仰天した。「怒られない!!!」と。信じられなかった。これはある意味で衝撃な出来事だった。その後、「人って優しい」と思えるようになる、最初のきっかけだったと言ってもおかしくないくらいだ。それくらい、自分にとっては「自分がミスをしても怒られない」ということが衝撃でたまらなかった。

最後に。

最近、なぜだか妙に長文になってしまってこれを読んでくれている人に「文章長いな・・・」と思われてないか心配なみっつです。私は体験談的なことを書くのにどうやら少し苦手意識を持っているようで、いつも「体験から得た教訓だけ」を答え合わせのようにブログに書くことが多いです。でも、最近はやっぱり物語の力(体験談の力)の大きさってすごいかもしれないと思うことが増えました。なので、拙い文章ではありますが、思い切って書くことにチャレンジしてみました。上段に「人生は一人じゃ完結しない物語だ」と書きましたが、私は、私の周りにいる人を通じて生かされているのだと思います。私は私の周りにいる人、一人一人の人に面と向かって、ありがとうと言うことができていない(恥ずかしさや状況もあり)ですが、改めて今日の記事を書いていたら、自分によくしてくれる人に対して感謝を忘れたくないなと思いました。人生は一人じゃないからこそ、物語になるんですね。
 
「最後に」という部分でさえ長文になりそうですが、今一度、いつも私のことを見守ってくれてありがとうと言いたいです。私の自意識であれ、今の私は誰かに見守られているような感覚がするのです。そんな気持ちにさせてくれてありがとう。体験談絡みではもっと書きたいこともあるのですが、それはまたの機会に書けたらなと思います。ここまで読んでくださってありがとうございました。