みっつ通信

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挑戦の数だけ希望が生まれる。

自分を殻に閉じ込めていると孤独感に押し潰されそうになる。
 
社会とコミットしていない感覚が続くと、余計なことを考える時間が伸びるのか、環境の問題とか、社会の問題とか、そういうことばかりを問題視してしまって肝心の自分に集中することを忘れてしまう。
 
今を生きることが大切だと思う。でも、今を生きるとは何だろう。希望とは何だろう。それを語りたいと思う。わからないことをわかった気になりたくない。わからないことを語る勇気を持ちたい。

自分に集中する。

今を生きるとは、自分に集中することだと思う。自分に集中するとは、自分の内側を見る、自分の殻に閉じこもるというニュアンスがあるようにも感じるけど、なんとなく違うなと思う。多分、自分に集中するということは、社会にコミットしていくことだ。
 
自分の殻に閉じこもると、世界が動かなくなる。日々に退屈を感じ始め、この世界に嫌気が差し始め、停滞感に支配されてくる。「この世界なんてくそくらえだぜ!」と徐々に厭世的にもなってくる。多分、世界をわかった気になってしまっているからだ。意識が散漫になってくる。これを放っておくとやがて鬱になるのかなと思う。
 
社会は常に流動していると感じる。その中に自分を投げ入れることが自分に集中するということだと思う。自分が社会の一員であることを認め、自分のするべきことをする【自分の任務を遂行する】ことに集中する。これが今を生きることだと思う。自分の殻を破ることが社会にコミットすることだと思う。ちょうど雛が殻を破ってこの世界に飛び出すように。

やるかやらないか。

流動する世界に自分を投げ入れるのは怖い。自分が自分でなくなってしまう恐怖がつきまとう。しかし、怖いのはその先に自分が欲しているものがあるからだ。プレッシャーを感じるのは、その先に自分の欲しいものがあるからだ。
 
やるかやらないか。多分、それを考えている時点で相当やりたがっている。大事なのはやったことによる自信の増加だ。基本的に結果はどうでもいいと思ってやりたい。自分が得たいのはやった後の手応えだ。流れの中に飛び込む前は怖いけど、飛び込んだ後は案外どうにでもなると経験したじゃないか。

モーションか、アクションか。

たぶん、自分はモーションでやめてしまうことが多い。やりたいことがあっても、何かを失うリスクによってそれをやらない。"ふり"で済ます。やった気になる。アクションを起こさない。勉強した気になるだけで日々が過ぎていく。モーションの日々だ。自分の殻に閉じこもり続けている。
 
どこかでリスクを取らないといけない。行動を起こせば嫌でも傷つく。傷つくからこそのアクションだ。自分が壊れる感覚。壊れた隙間から光が射す。それが希望の光だと思う。
 
自分が壊れ、そしてゆっくりと再生していく。この過程が自分を大きくする。変化はゆっくりなものだと思うから、アクションを起こしている渦中は自分の変化に気付きにくいけど、後で振り返ってみると自分がどこで変わったのか、その分岐点に気付く。

挑戦の数だけ希望が生まれる。

怖くてもやる。自信がなくてもやる。傷ついてもやる。今の自分にできる小さなことからやる。大きなことをやろうとして失敗するより、小さなことをやって成功したほうがずっといい。いま目の前にあることを手塩にかけてやる。挑戦とはそういうことかもしれないと思う。アクションを起こし、自分に集中し、自分を責めそうになりながらも挑戦をやめない。その日々はきっと希望を連れてきてくれると信じてる。だから、これからもいろんなことをやっていきたいなと思う。