みっつ通信

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好きに生きる。

私は、その人が何を大切にして生きているのかを極端に直視しようとする傾向があるらしい。私が大切にしてるのは、正直さとか誠実さとかそういうものになる。そのせいか正直に誠実に生きようとしている人を見ると心が救われる思いになる。この人には生きてほしいなと思う。
 
私の欠点とはなんだろう。そんなことを考える。多分、好きな人のためなら動けるくせに、その肝心の好きな人がめちゃくちゃ少ないというところが欠点だと思う。それは嫌いな人がいっぱいいるという意味ではなくて、私が愛する「思い」を持っている人が少ないという意味に近い。
 
この社会はお金で動いているところが大きいと思う。お金の集まるところに人あり、と感じることが多い。私はお金が嫌いなわけではないけれど、自分の生活を潤わせるためだけに(要は生活のために)仕事をしようという気になれない。
 
突き動かされる何か。私は今までの人生で自分は自分一人の力じゃ動けないということをまざまざと感じてきた。一人じゃ何にもできない。それに一人じゃ面白くもない。でも、そこに好きな人がいてくれるから、どうにかこうにか生きていくことができている。
 
好きに生きたいと思う。でも、好きに生きるというのは、好き勝手生きるという意味で使ってはいない。好きに生きるというのは、「好きを想って」生きることだと思う。私は多分根っこでは人が好きで、表面的には人が嫌いだ。今までの経験からか他人は敵だという認識が強かった。今ではそれもかなり和らいできたとは思う。

生かしたいと思うこと、それはつまり愛してるということ。

この人には自分と同じ部分を感じるなと思える人と出会えると急激に好きになる。だが、そんなことは滅多にない。一人でいることに何の不満もないからか、たとえ日々に面白さがなくても、たんたんと過ごせていけるくらいの能力は身に付いてしまった。
 
だから、出会いが少ない。でも、出会いが少なくても、愛せる人が一人でもいれば十分過ぎるくらい幸せに生きていける。自分はきっと定期的に愛する人と愛し合うこと(心を通い合わせること)を必要とする人間だ。愛する人と同じ時間を共にしていれば、間違っても死にたいなどとは思わなくなるのだ。
 
むしろ死にたいと思う気持ちなんか消え失せ、この愛する人をどう生かしていくか。そのことに夢中になる。たとえ自分が不幸になっても構わない。この人となら不幸になっても構わない。そう思える人がいる。私にとってはそれが愛するということだ。
 
愛する人の浮き沈みは自分にとっての浮き沈みだ。完全にリンクしている。愛する人には生きていてほしいと強く思う。ゆえに自分はまだ死ねないのだ。愛する人を愛した分だけ、いつしか自分のことも以前と比べると少しは愛せるようになったと思う。